2015年7月15日 (水)

意思表明をば

安保法案が可決された。

平和憲法云々はまあ、おいておいて。

日本は立憲国家であるはずであった。それが、本日、瓦解した。

審議をし尽くしたとかどうとかいう問題ではない。いくら審議を尽くし、問題点が指摘されたところで、馬耳東風、ふうん、あっそ、てなもんである。決定的な欠陥が指摘されたって通すもんは通すと最初から決めてあるのであって、国会の審議なぞは、ポーズでしかない。この国には国会などは不要なようである。

国会は形骸化し、さらには国の根幹であるはずの憲法でさえ形骸化した。憲法に何が書いてあろうと、ふうん、あっそ、なのである。書いてあってもそれがどうした、別に気にすることはない、やりたいことをやるんだそうである。

基本的人権? ふうん、あっそ。国民主権? ふうん、あっそ。三権分立? ふうん、あっそ。

かくして、日本国は無法地帯となった。

納税の義務ももういいやね、ラッキー!

文句言わんでくださいよ。現政権のお歴々。僕らはあなたがたを見習うだけですので。

ほんでまた、今日起立した政治家たちに投票したみなさん。先頭きって責任とってくださいね。

憲法改正の方法も決められている。改正する方法はある。変えられる仕組みはあるんだけどね。国民が賛成すりゃするっと変えられるようにね。

でも、都合悪ければ、変えてもいいんだそうな。

さよなら、法治国家日本。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月11日 (水)

智恵子抄のこと

今、テレビを見て泣いた。

開店休業中のこのブログだが、せっかくなので、書きおいておきたいと思う。

去年の暮れから今年1月にかけて、高村光太郎と智恵子に入れ込んだ。

去年から山岳雑誌の『岳人』の編集にも携わるようになった。その3月号。この15日に発売される号で「山と詩人」という特集を組んだ。僕好みと言えば、そう言えなくもない特集だ。

『智恵子抄』を読み込み、彼らが婚前に過ごした上高地がのちのちまで、智恵子の死にいたる時まで、その思い出が2人の中に深く刻み込まれていることを知った。

そして、なんとタイムリーなことにNHKの「歴史ヒストリア」で、彼らの話をやっていたのだ。

智恵子の死の間際を描いた「レモン哀歌」。その言葉を何度復唱したことか。そして、テレビで、その時がやってくれば、もう涙なくしては見られない。

「昔、山てんでしたような、大きな深呼吸を一つして、あなたの機関はそれなり止まった」。

その後、数十年が過ぎ、隠遁生活とも言える花巻での山小屋暮らしで、光太郎は「智恵さんがいるから寂しくない」と言ったという。

…久しぶりに僕は泣いたのであった。

それだけの話。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年11月17日 (月)

子供と山と

久しぶりに書いてみる。

昨日、和泉市の親子登山教室というイベントをやった。

僕は和泉市出身で、ふとしたことから市議会議員と知り合い、子供を山に連れていくイベントをやってみませんかと提案したもので、ようやく実現したのだった。ひとまず今回は無料イベントで、僕はと言えばノーギャラのボランティアである。

親子合わせて20数名、子供は10名ほどだろうか。

なんで久しぶりにブログを書くかというと気分がいいからである。正直、子供たちの反応にはびっくりした。4歳児から小学6年生まで、岩場やロープ場をこなし、同行した親御さんにしてみればヒヤヒヤ物であったろう。子供たちにとっても冒険だが、親たちにとっても冒険だったに違いない。

子供はたくましい。歩き終わったあとでもはしゃぎ回り、「また行こう、また行こう」と言う。

正直、ここまでの反応は予想していなかった。それだけに、僕にとってもいい体験であった。

子供を取り巻く環境はいよいよ複雑だ。山にはゲームもなければおもちゃもない。でも、自分たちで棒っキレを杖にし、剣にし、松ぼっくりを投げ合って楽しめる想像力がある。想像力のあるうちに、それを伸ばしてあげなければ。

偶然だが、担当課長が、中学校の同窓生だった。遠慮せずにものがいえたのも良かったし、先頭に立って子供たちを導いてくれたのも良かった。

またの機会があるかどうかは和泉市次第であるが、なんとなくそれなりに社会に貢献できた気分があり、いい一日だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年10月10日 (木)

一挙にご報告、つまり告知です。見てください。

随分とご無沙汰なので、もう見てる人も少ないかもしれませんが、諸々、書き込んどきます。

まず1つ目。編集者として。

『関西ハイキング』です。今年も山と渓谷社から発刊されます。10月19日に発売ですので、ぜひご購読願います。真面目に作ってます。

詳細は以下から。

http://www.yamakei.co.jp/products/2813924020.html

2つ目。登山インストラクターとして。

アサヒカルチャー教室です。登山教室ですね。

10月期は「六甲山で学ぶはじめての山歩き」は地図読み講座です。座学1回、現地2回なので、地形図を読みこなしたい人にはうってつけの講座です。

詳細は以下から。

http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=220895&userflg=0

また、「テーマで歩く関西の山」、10月は「展望の山・高御位山」、11月は「紅葉の山城・高取城跡」です。

詳細は以下から。

http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=220897&userflg=0

3つ目。役者として。

加藤文太郎の朗読劇、今年もやることになりました。

11月です。長野県の松本と大阪で。

松本では、松本市主催の山岳フォーラムでやります。まつもと市民芸術館。16日です。夜です。

http://www.sangaku.net/

呼ばれてしまいました。大阪では、29日夜、30日夜です。2回公演です。梅田のグランフロントです。大阪ガスの都市魅力研究室で。

http://histoire2011.net/archives/31243580.html

小道具のピッケルを山岳ガイドの角谷道弘さんに借りちゃいました。

以上でございます。

みなさま、応援よろしくお願い致しますです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月24日 (水)

遭難死

 劔岳で山岳写真家の新井さんが亡くなられた。僕より年下だった。

 絡みはほとんどなく、2年ほど前か、一度メールでやり取りしたことがある。

 19日に室堂から入って剣沢に下ったということだ。

 ちょうどその頃、僕は立山三山を縦走し、別山乗越から室堂に向かっていた。もしかしたらすれ違っていたかもしれない。これまでの荒天が嘘のような素晴らしい青空が広がり、後立山から富士山、槍穂、乗鞍、白山までもが見通せるなんとも言えぬ山びよりであった。

 各方面から告別式のお知らせのメールが届いた。遠方のためもあるが、親交が浅いこともあって遠慮させていただくことにした。

 亡くなる前日、新井さんは美しい山並みに囲まれて、爽やかな汗をかいていたに違いない。その同じ山並みを僕も共有していた。山々は美しすぎた。だからこそ悲しい。

 残されたご家族のことを思うとやりきれない気持ちになる。

 今はただ、ご冥福をお祈りする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月 9日 (日)

朝日カルチャーの登山教室

そんなわけで、今日は朝日カルチャーの「六甲山で学ぶ初歩の山登り」の4月期の最終現地講座で、荒地山に行ってきました。岩場の歩き方の講座です。

皆さん達者なので、まあ、無難に終わりました。

7月期が現在募集中だと思います。夏場ですので、「バテないための歩き方」をやります。

また、「テーマで歩く関西の山」というのもありまして、7月に友ヶ島のコウノ巣山(島の山旅)、9月に岩湧山(ススキ)に行きます。

よろしければ、応募をお待ちしています。多分まだまだ受付可です。

詳しくは以下で。

http://www.asahiculture.com/LES/list.asp?CACODE=0020-1&KeyWords=%89%C1%93%A1%81@%96F%8E%F7&search.x=102&search.y=20

ではでは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月 7日 (金)

ボストン美術館展

久しぶりに昨日、というか一昨日、美術展を見に行った。

近所の大阪市立美術館でやっている「ボストン美術館 日本美術の至宝」である。

まあ、面白かった。これらの絵画が日本にないというのは何たることか、と嘆いてみても仕方がない。

まず、絵巻。「吉備大臣入唐絵巻」「平治物語絵巻」の2つ。面白いなあ。細かい描写はじっくりと見てみたいのだけれど、美術展だから、ちょっとずつでも進んでいかねばならんので、悔しさが募る。

仏教美術は、まあ、このクラスは日本でもたくさんあるし、もっとすごいのも当然あるからビビるほどではない。仏画や仏像が、多分ボストン美術館では「美術品」として収蔵庫にでも保管されているのだろうが、やはり、これらは寺院で本来のその役割、あるべき場所で見るのが一番いいなあ。作り手もそういった堂宇に安置されることを前提につくってるわけだし。しかし、明治政府の廃仏毀釈のせいで廃寺になった寺院から持ってかれた襖絵なんかを見ると、まあ、お上のやることは浅はかだなあ、と思わずに入られない。廃城なんかもそうであるが、失われたものは2度と戻ってこんのである。いくら大阪城が新しくなったって、あれはまあ、城の形をしたビルなんである。豊臣期のものは夏の陣でなくなったし、江戸期のものも鳥羽伏見の戦いでなくなちゃったし。まあ、残っていても空襲で焼けちゃってただろうけども。

見応えがあったのが、長谷川等伯の龍虎図、尾形光琳の松島図、そして展覧会のシンボル的存在の曽我蕭白の雲龍図だ。伊藤若冲の作品も面白く、鸚鵡図はその画法はユニークだ。

絵にもいろいろな見方があるなあと気づかされたのが、狩野派の絵画だ。まあ、よく見るものと言えばそれまでだが、細かく見ていくと、当時の日本の自然が見えてくる。鳥なんかに注目すると、主題ではないが、そこここの枝にさりげなくシジュカラやカケスやジョウビタキなんかがとまっている。正直言って僕なんかは実物を見たことはないが、ガンという鳥が主題やその他脇役であれだけ登場するというのも、今と違って結構ポピュラーな鳥だったんだろうなと思う。

僕はどうも図録を買うのが好きではないので、今その絵を見ながら書けないのが悔しいのであるが、植物もなかなか面白かった。いまや絶滅危惧種であるミズアオイなんかも書いてある。ちなみに図録を買わないのは、いつも欲しいと思って見本のページをペラペラとめくるのだが、色が違うし、どういうのかぼかしなどの微妙なグラデーションが、元絵よりくっきりと印刷されていたりするので、その絵の持つ雰囲気が今ひとつ再現されていなくて、図録を買って眺めてしまうと、その絵の印象が変わってしまいそうな気がするのでやめてしまうのである。

しかし、蕭白の雲龍図はすごいです。これは見とかないかんですよ。酔狂な大富豪が買い上げてどっか日本の美術館に寄付して欲しいです。

ちなみに虎は、和歌山県串本の無量寺にある長沢芦雪の襖絵が何といってもいいです。師匠の応挙の金刀比羅宮の襖絵も見たけど、ありゃ猫です。まあ、いずれにせよ毛皮から想像して書いたのだろうから仕方ないんですけども。

ま、そんなこんなで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月30日 (木)

三輪さんとなんとかさん

 今日は午前中、日本山岳会関西支部の会合があって、そのあと、O夫妻と難波のクライミングジム、グラヴィティリサーチに行った。

 すると、おっとどっこい、見慣れた顔がやって来た。関西ガイド協会の会長の三輪さんである。奥さんと、イタリアはドロミテのガイドのなんとかさん(覚えられなかった)と一緒に登りに来ていたのであった。なんとかさんは、50は過ぎているが、なんでもヨーロッパのガイドのトーナメントとかいうのがあって、チャンピオンにもなったらしい。

 せっかく紹介してもらったのに名前を覚えられなかたのは、もうおいらも焼きが回ったってこった。2週間くらい日本に滞在しておられるらしい。こないだ富士山に登って、この週末は剣に行く予定だったが、天気が悪いのでやめにして登りに来たということらしい。

 6月末頃から三輪さんもイタリア行き。しばらくドロミテで過ごす。「おいで」と誘ってくださるが、まあ、そらあ行きたいけれども、金もいるし、そうおいそれとはいかんのである。

 宝くじでも当たりゃあ別だけど。

 でも行きたいので、懲りずに誘ってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月28日 (火)

赤坂山と子供たち2

 夕方に、現地から電話をもらった。

 比較的詳細な話を聞くことができた。その場で僕は「えらいなあ」と、うなった。

 子供たちは、寒風から福井県側に降りてしまっていた。というか、道を間違えた時点では、どうやら先生を含む集団で入り込んだらしい。が、その後、2人を残して全員が高島トレイル上に戻ったのである。

 ガイドのことや先生の動きまでは詳しく聞いていないが、間違えた地点が分かっているので、もう一歩追求しても良かったように思う。ただし、遭難当日は、捜索隊も2人が迷い込んだ谷には入っており、日没で引き返したようだ。現地の状況が分からないので、不容易な憶測は控えるが、なんにせよ、もう少し先に進んでいれば昨日のうちに2人を発見できたかもしれない。

 2人は谷を降りて滝で行き詰まったようだ。「道に迷ったときには谷を下るな」というのは、こういうところからきている。ここまでは悪いパターンに入り込んでいる。しかしそこからがえらいのだ。、そこでビバークを決め込んだのはえらかった。そしてビバーク後、明るくなってからも、下ろうとはせず逆に登り返し、登れそうなところから尾根に登ったというのもえらかった。腹は減るし疲れているだろうから、さらに下ろうとしてもよさそうなものだ。尾根も相当急斜面で苦労したようだ。

 その後は、報道されているとおりで、自分たちでトレイル上に戻り降りてきた。それもえらかった。

 そんなわけで、団体から故意に外れたことは大いに反省すべきだけれど、その後の行動は素晴らしかったのではないかと思う。

 とまあ、又聞きながら、そんなことを思った。林間学校の小学生だから、登山の基本を知っていたとは思えないのだけれど、ビバーク以後は模範的な行動で、頭が下がる。

 僕のなじみの山域の一つだし、知人も多いので、今日、出てこなかったら、遅ればせながら僕も行くつもりで、万が一僕が見つけたら何を食べさせて何を飲ませて、などと考えていたけれど、いい意味で空振りに終わった。

 えらかったねえ。頑張ったねえ。と、届かぬだろうが、言葉にしてみたくなる僕であった。なんだか嬉しくて、ありがとうとでも言いたくなるのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

赤坂山の子供たち

今朝、赤坂山の子供たちがまだ見つかっていなかったので、現地に連絡した。今日の仕事をキャンセルしようかとも思ったが、2百人が捜索しているというので、今日見つからなければ、明日に手伝いに行く旨を伝えた。
昼過ぎ、地形図とにらめっこしながら電車を降りたところで、無事に見つかったと連絡が入った。
まず、よかった。明日に持ち越しとなったら、雨も降っているし、ヤバくなると思っていた。
たくさんの人たちに迷惑をかけた一夜の冒険。子供たちは今、何を思っているだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«遭難