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2009年7月27日 (月)

机上登山者の憂鬱

 仕事柄、常日頃、山のことを考えている。登山家ではないが、なんだか身に染み付いてしまい、時間があるときに読む本も、近頃は山岳関連の本に偏っている。

 いかんなとは思うが、このところ、何軒かの仕事が重なってきているので、ありがたいことだが、山に行けんのである。そこで、机上登山者となる。

 学生のころにはまった本多勝一氏の『山を考える』を読んだ。何度目かは、もうわからない。若いころは、山の記者としてではなくジャーナリストの本多勝一にはまった。きっかけは、ベトナム戦争のことをいろいろと調べていて、『戦場の村』にであったことである。『殺す側の論理』『殺される側の論理』『ジャーナリズムとは何か』などの著作を読みふけり、かなり影響を受けた。考え方としては極端に振れる部分があるが、幾分引いて読めるようになったのは、社会人になってからである。ましてや山関連の著作を読むようになったのは、山に関する仕事をするようになってからであった。

 人はどういうかは知らないが、僕はジャーナリズムのなかにいる。しかし、感情に流されやすく、いろんな立場に気を使ってしまうほうで、本多氏のように厳しい態度に出ることはあまりない。

 であるが、今回の再読で、かなりの部分で、最近頻発する山岳遭難に対し、警告となる部分があった。もう、何十年も前の遭難も現在の遭難も、たとえば、肌着に何を着ていたかが明暗を分けたというようなことがすでに書かれている。

 一昨日か、「富士山に行くんですが」と4人組の女の子が僕に問うてきた。「富士宮口にはどうやっていけばいいんですか」という。どうやら行くことは決まっているらしい。しかし、何一つ調べていない、というのか、自分たちで調べようともしない。行き当たりばったりとでも言うのか、登山以前の問題だ。

 出版に携わっていることもあるが、「とにかく本屋さんに行ったら、富士山関連の本がいっぱい出ているから、1冊でもいいから読んで」というのが精一杯であった。もとより、登山靴を用意する気もなければ、それなりの装備を考えるつもりもない。同じ他力本願でも、まだ、ツアーのほうが「持ち物」と書いてくれているだけましだ。

 インターネットのみで情報を拾う人も多い。これはしっかりしたガイド的なものもあれば、単に体験記的なものもあるので、その取捨選択ができる能力が必要だろう。基本的には無記名なので、だれも責任を持たないし、体験記は悪条件の時に登ったものでなければ役に立たないだろう。

 時代といってしまえばそれまでだが、インターネットのおかげで、情報が簡単に手に入ると思っている。そこに書かれている内容がいかに真剣で重要なものであっても、読む側が簡便性を求めていて、サラッとしか読まぬのであれば、頭には残らぬような気がするのは気のせいか?

 心理学者でも何でもいいが、書籍、テレビ、インターネットなど、メディアによって記憶の残り方の違いや認識のしやすさなどをはっきりと調べてはくれまいか。

 そのうち、生活スタイルの違いでは済まぬことになりそうな気がする。

 先日、手塚治虫の中学時代に作った昆虫の同人誌を読んだが、そのレベルの高さに舌を巻いた。このままでは、日本人の知的能力がどんどんと低下していくのではないか。

 僕も含めて。

 ああ、また話がそれた。

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