« OMS戯曲賞「山の声 ある登山者の追想」 | トップページ | 自然公園指導員と自然保護憲章のはなし »

2010年5月24日 (月)

吉田登美久と加藤文太郎

 なんだかんだ考えているうちに、老子に思い当たった。思い当たっただけなので、何にも知らないのだが、無為自然という言葉の意味を知りたいと思い、かじっておかなければと思ったのである。なんだかとらえどころがなさ過ぎて四苦八苦している。

 齢40を越えて初めて老子を開くというのも、なんだかさまにならないが、まあ、さておき。

 手元に『ペデスツリヤン』という昭和初期の神戸徒歩会改め関西徒歩会の会報の25周年記念号がある。昭和10年発行のものだ。

 手に入れてからわかったのだが、この記念号には、神戸徒歩会(KWS)の詳しい歴史が巻頭に書かれているのに加え、加藤文太郎とともに槍ヶ岳北鎌尾根で遭難した吉田登美久(富久)が寄稿している。彼らが遭難したのは昭和11年なので、その前年に作られたものだ。同9年4月に、この2人が行った前穂高登山の紀行が掲載されている。

 この紀行文から、当初はこの山行で北鎌尾根を目指していたことが知れるが、行動の遅れから槍ヶ岳にまで足を伸ばすことができなかった。しきりに、足を引っ張ったと吉田は加藤に申し訳なさそうに詫びている。

 実際に吉田は凍傷になったようだが、それよりも、加藤に対する尊敬の念が、この詫びに表されているように思う。

 ひとの運命は、ちょっとした巡り会わせの中で大きく変化していく。過去に対して「もしも」はありえないのだが、この時、2人が北鎌尾根に足を伸ばすことができていたなら、11年の遭難はなかったのかもしれない。

 もちろん、ひとはどうやっても死を迎えなければならない運命なので、この遭難があってもなくても、現在ではすでにいない人なのではあるが、まだ生後3ヶ月であった娘の登志子さんをはじめ、その後の多くの人たちの人生が変わっていたかもしれない。

 登山史からの捉え方はもとより、一人の人間の生き様として、思い考えることがある事件である。

 

 

|

« OMS戯曲賞「山の声 ある登山者の追想」 | トップページ | 自然公園指導員と自然保護憲章のはなし »

山と人」カテゴリの記事

コメント

Currently it seems like BlogEngine is the top blogging platform available
right now. (from what I've read) Is that what you're using on your blog?

投稿: How Many Pages Are In The Paperback Edition Of The Hobbit? | 2022年4月12日 (火) 14時29分

Very good article! We are linking to this great article on our site.
Keep up the great writing.

投稿: Lonny | 2022年4月13日 (水) 02時44分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 吉田登美久と加藤文太郎:

« OMS戯曲賞「山の声 ある登山者の追想」 | トップページ | 自然公園指導員と自然保護憲章のはなし »