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2011年1月26日 (水)

久野英子さんのおうちへ。日本の女性登山の系譜

 夕方から奈良に出かけた。日本山岳会関西支部の用事で久野英子さんにインタビューに行ったのである。

 ずいぶん前から、関西支部の辻さんから、久野さんを紹介したいので、一緒に遊びにいきませんかとお声を掛けていただいていた。スケジュールが合わずに、機会を得なかったが、今日、ようやく足を運ばせてもらえた。

 久野英子さん。山岳関係の人であれば知っている人は多いのだろうが、一般の登山好きの人でその名を聞いてピンと来る人は、かなりの登山史通であろう。一方で、田部井淳子さんといえば、山好きの人ならかなりの人が「知っている」と答えるはずだ。

 田部井さんといえば、女性初のエベレスト登頂者である。そして、久野さんは、そのエベレスト日本女子登山隊の隊長だ。1975年のことである。

 久野さん、玄関で出迎えてくださったのはよかったのだが、頭にタオルを巻かれていて様子がおかしい。聞くと、われわれを出迎えるために、流しの上の棚からお皿を取ろうと椅子に登ったところ、ひっくり返ってしまったのだとか。居間の明るいところで見ると、右足の靴下が血でべったりと濡れている。久野さんは、一人で傷を見るのは怖かったので、靴下を脱がずにわれわれが到着するのを待っていたのだという。靴下を下ろし、タイツをめくってみたところ、血は止まっているものの脛がざっくりとV字に割れている。すぐコンビニに消毒液やらバンドエイドやらを買いに出たが、結局、近くの外科医へ。13針を縫う大怪我となってしまった。

 自己紹介ができたのは、病院から帰宅後のことである。

 前に、日本で初めて女性だけの隊でヒマラヤに遠征された宗實慶子さんのことは書いた。『関西ハイキング2011』にも、六甲全山縦走にかこつけて宗實さんを紹介した。女性初の8000m峰登頂者、内田昌子さんは、まだ電話で「ご主人、いらっしゃいますか?」程度の話ししかした事はないが、いずれ膝を突き合わせてお話しする機会があることを願う。凄い人たちなのだが、一般の人がわかりやすい表舞台には(今のところ)出てこない人たちだ。

「表舞台」というのは、確かにあって、久野さんとお話していてもそれは感じる。NHKの影響もあって田部井さんが再び脚光を浴びている昨今だ。しかし、その時、エベレスト登頂前の第4キャンプには、アタック隊では田部井さんのほかに渡辺百合子さんがいた。

 残り少ない酸素ボンベを最大限に生かすために、最終アタックが出来るのは一人。山頂を極めたい気持ちは誰しも同じだ。田部井さんは登攀隊長でもあったので、自分で自分を指名するわけにもいかない。2人のうち、どちらを登頂アタック者にするかは、久野さんの一存にゆだねられた。

 もちろん、登頂の可能性を総合的に考えた判断があり、頂上アタック隊員は田部井さんと決められた。しかし、何かの理由で、久野さんの決断が違っていれば、渡辺さんが女性初の登頂者になったということも可能性としては大いにありうるし、酸素ボンベが十分にあれば、2人が同時に頂上に立っていたかもしれない。

 この決断で、田部井さんは「世界のタベイ」になり、渡辺さんの名が広く知られることはなくなった。おそらく、登山家としての力量でいえば、同等か、もしくはそれに近いものだっただろう。

 渡辺さんが下山してきたときに、久野さんは涙して迎えたという。渡辺さんは「登山とはそういうものだから」と逆に慰めの言葉を久野さんに掛けたそうである。

 いまでこそ、ヒマラヤもパーソナルな時代に入ったが、極地法で登山していた時代は特に、登頂者だけの名前が知られ、そのほかのメンバーが歴史に名を残すことのない時代であった。

 訪問時のアクシデントがあり、短時間しかお話できなかったが、日を改めてお会いしたいと思う。久野さんについての詳しいことも、何かの折に発表できたらと考えている。

 

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コメント

ブログを拝読いたしました。
アタック隊員に選ばれなかったという、渡辺百合子さんは、いまどこでどうしていらっしゃるのでしょうか?
ご存知であれば、教えてください。

とても清々しい人という印象を受けました。

投稿: こみち | 2011年11月23日 (水) 22時32分

初めまして
久野英子の姪です
懐かしくて。。ありがとうございます

投稿: みかこ | 2018年7月23日 (月) 19時49分

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