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2012年2月20日 (月)

私信

 ごめんなさい。ダメですね。書こうと思えば書けんこともないのに。半年ぶりになります。

 この度、山と渓谷社からガイドブックを上梓しました。

 『関西周辺 週末の山歩き ベスト120』(加藤芳樹著、256ページ、オールカラー、1900円+消費税)です。

120としていますが、122コース掲載しています。初心者からベテランといわれる人にも手にとってもらえるようなものをと思い、今まであまりガイドブックで紹介されていないような山も載せています。

 しばらく書いていなかったので、読んでいただける方も少ないとは思いますが、たまたま見ていただけたら、書店にて買ってください。

 ついでながら、3月ですが、朝日カルチャー講座があります。地図読み講座です。興味ある方は、以下で詳細を。

http://www.asahiculture.com/LES/list.asp?CACODE=0020-1&KeyWords=%89%C1%93%A1%81@%96F%8E%F7&search.x=68&search.y=24

 以下、まじめなことを。特に読まなくてもいいです。山とは関係がないようで、あるようで、よくわからん話です。

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 今月の『文藝春秋』を読んでいる。芥川賞掲載の号はまあ、欠かさず買っているわけだが、1975年に掲載された「日本の自殺」という論文が冒頭にある。1975年だから、40年近く前の論文というわけだが、ホントの自殺の話を書いているわけではない。日本という国家が、どう崩壊していくか、もっと広く言えば、文明というものがどう滅んでいくかという論文である。

 そもそも、というか、暇な人はもしかしたら、ボクの現代への愚痴りを読んでくれた人も中にはいるかとは思うが、まあ、つまるところこういうことなのかなあ、と思わされた。

 古くて新しそうに思える論文だが、良識ある人々は、以前から、そして今も、このような内容のことは気づいているし、声に出している。別段新しくもない。良識ある人にとっては。

 ボクは、もう、随分前から、人間に対して絶望している。自分も含めて。歴史は、教訓にはならない。それは、誰もが、人生を初めて経験しているわけで、結局、同じことを繰り返さざるをえないからだ。ローマクラブの『成長の限界』を、ついこの間、やっとこさ手に入れて読んでいるが、これも40年ほど前の本だ。

 論文に付随する現代の学者さんたちの批評では、「戦後民主主義」とか「平等主義」とか「福祉」とかの害を述べていたりする。が、つまるところ、そんなものではなくて、人間が人間である限り、ギリシャやローマの興亡を繰り返すということであって、欲望はとどまることを知らず、肥大し続けるがゆえに、いつかは物理的、あるいは精神的な限界を超えて、収縮に向かうということだろう。

 元経団連会長の土光氏が面白がってこの論文のコピーを配って回ったというようなエピソードが紹介されているが、今日の日本がその結果だとしたら、面白がっただけで何もできなかったということではないのか。個人には良識があっても、集団となった場合には、それは大きな生き物として動き始め、細胞のひとつが異論を唱えたところで大きなうねりはひき戻らない。残念ながら。

 欲望の肥大を生まずして、資本主義の成長はない。「(ⅰ)もっと買わせる戦略、(ⅱ)捨てさせる戦略、(ⅲ)計画的廃物化の戦略、(ⅳ)欲望の計画的廃物化、(ⅴ)流行おくれにする方法、(ⅵ)混乱を作り出す戦略、(ⅶ)月賦販売による戦略、(ⅷ)快楽主義を植えつける戦略、(ⅸ)人口増加を利用する戦略」。V・パッカードという人物がどういうひとかは知らないが、これら「九つの欲望を肥大化させる戦略」が、「スーパー消費者とでもいった新しい人種をつくり出すために用いられたマーケティング戦略」だという。

 そして、企業が、言い換えればサラリーマンたちが、利益を生み出すために試行錯誤を繰り返し、日々努力を惜しまず頭をひねっているのが、まさにこれではないのか。

 論文ではこれを「悪」とは言い切っていないが、論調としてはそれらが、「日本人の精神状態を非常に不安定で無気力、無感動、無責任なものに変動させてしまった。それはまた、伝統文化を破壊することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を麻痺させ、日本人の精神生活を解体してしまった」とする。「日本人」とするより、ボクは「人間」と置き換えてもいいとさえ思うが。

 これがもし、「悪」とするなら、われわれ日本人が今躍起になって経済発展を願っている日々そのものが、「悪」となってしまう。まあ、ボクはちょっと「悪」だと生理的に思っているふしがある。だから、ボクはおそらくサラリーマンに戻ることはない。お金は欲しいが、必要以上のお金は要らない。

 「芥川賞」受賞作品全文掲載の号だから、多分、多くの人がこの論文を読むだろう。そして、「そんか、そうか」とか「そうだよなあ」とうなづくに違いない。通勤電車の中で、「その通りだ」とか心で叫んで、会社に一歩入れば、「欲望を肥大化させる」戦略を練る。

 なぜなら、そうしなければ食えないからである。そしてまた、企業人としてのアイデンティティはそこにある。そういうシステムになっているのである。各人が望もうが望むまいが。

 かくして、「日本」は「自殺」するのである。いくら声を出しても、最終的にはそこに帰結する。そして、歴史はイチから繰り返すのであろうが、そこに一縷の希望があるのだ。だからボクは人間に絶望し、人間を愛するのだ。

 人間は本来的に、根源的に、今いる位置から動こうとするのであれば、足を動かし一歩一歩進むものだ。ひと山越える時には、息を切らせ、汗をかき、時には座り込むだろうが、自分の足を使わない限り永久に越えることはできないのだ。川を渡るときには、一足ごとに川床を足先で探り、川の流れを読んで、流れに逆らわず、時には逆らいつつ進むのだ。自分で判断して、自分が力を発揮しない限りは、永久に山頂には着かないし、家路に就くこともできない。時には、死を覚悟しなければならないのだ。

 企業努力は、それとは相容れない方向に進まざるをえない。われわれが「便利」と思うものを売り、「便利」と思うサービスを売らなければならないのだから。そうでなければ売れないのだから。「便利」でなくするものを新規に売り出すことは、そうはないだろう(あるにはあるだろうが)。

 こじつけのように聞こえるだろうが、そこに「山」の現代的な意味がある。子どもたちを大いに山に連れ出そう。自殺した親父たちの屍を乗り越えて、輝ける未来に向かって力強く踏み出せるように。そういう力が養われるように。

 祈り。のようなものか。

 それが、人間が本来暮らしてきたであろう、山であり、自然の価値というものだろう。

 

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