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2012年7月29日 (日)

「最悪」の橋下・文楽事件

 今日は、朝日カルチャーの教室で、六甲山へ行ってきた。

 んで、夜、久しぶりの稽古である。

 われわれ「文化系」の人間の間では、当然ながら、「橋下発言」の話題になる。んで、先般、曽根崎心中の感想を書いたばかりなので、ちょいと考えてみた。

 なんとなく伝え聞いていただけなので、まあ、今一度ネットで検索し、確認しつつ、はあはあと思ってもみる。

 ボクは大阪に住んでいるが、知事選でも市長選でも橋下さんには投票していない。なぜなら、まず、この人は自治体を企業にたとえた。

  当たり前だが、この人と直接話し合う機会が今のところないので、真意のほどまでは知らぬが、採算が取れるものは、そもそも私企業がやればいいことであって、民営化すればいいのである。採算が取れないものだから、税金を投入するのだ。まずこの点で、ボクはこの人が政治家として(人間としてではありませんよ。会ったことないし。いや、厳密にはあって、この人の対談を原稿にしたこともあるけど、話したことないし)、信用できなかったのである。文化やその他大阪府民が「心を育てる」場の切捨てが目に見えていた。そんな理由だが、奇しくも稽古場でJ君が同じことを言った。

 そうして、まず僕が言ったことは「あの人はそういうもの(芸術・文化? つまり人間の感受性に訴えるもの)に対しての感性がもともとないのよ」である。まあ、そう決め付けたのだ。そして「そういうものを受け止める感性なり素養がないのはええねんけど、テレビで言ったことが最悪やね」と言った。

 つまり。文楽に対してどんな感想を橋下さんが持とうが構わない。そういうものに親しんでこなかった人はたくさんいる。しかし、今や国政が顔色をうかがうほどの大人物に「なっちゃった」人が、テレビというこれまた影響力を持ったメディアで発言したことは、もう最悪といっていいだろう。

 残念ながら、「橋下さんが言うなら、おいらもこの目で確かめてみよう」というような、これまた積極的で批判的な国民性でもない。それは、ヒットする映画を見渡してみてもわかる。宮崎駿監督の映画はボクはそうは思わないが、ヒットする理由は割合に「みんなが見ているから」であって、残念ながらその内容に共感したからでないところは、人心の一向に変わらず、以前と同じように功利主義のなかで(あるいは損得で)しかものが見れない世の中であることからもわかる。右へ倣え。長いものには巻かれろ。ひとの批評を聞いて自分の評価基準とする。

 だから、「橋下さんが言うんだから、文楽というのはアカンネ」と思ってしまうひとが多数出現することになるだろう。1回も見ることなしに。橋本さんが「長いものに巻かれろ」的人間ではないところがミソで、有名で力を持った個性には、わが国民は猛烈に弱い。

 一方で多数派ではないかもしれないが「文楽がとっても好き」と言う人がいることを理解していない。かの発言で傷ついたひとも少なからずいるだろう(ちなみにボクは傷ついてはいないけど)。

 でも、そもそも、橋下さんの言う「人形劇」が、自分たちだけで何百年も続いて経営できるほど儲かるわけがない。何万人といる映画好きに匹敵できるほど、人形劇好きがいるわきゃないのである。芝居もそういうジャンルのひとつであり、商業演劇などは採算が取れ儲かってもいるのだろうが、作り手側からすれば、その場が成功すればよいのであって、その芸なり伝統を後世に伝えなければならないような義務や必要性はどこにもない。

 同じ古典芸能として歌舞伎を例に取ることもしているが、テレビや映画というマスの大きなメディアで役者が露出し、活躍してPRできる世界と同様には語れない。野村万斎で注目を浴びた狂言もそうだ。竹本●●太夫を大河ドラマの主役に抜擢することなどあろうはずがない。若手人形遣いを「いま会いにゆきます」の主役に誰が使うか。観客の前で具現化される文楽の主役はあくまで人形なのである。同じ土俵で語るにはジャンルが違い過ぎる。(あ、でもNHKあたりが「にほんごであそぼ」のような子供向け番組で取り上げることはできるなあ)

 さて、大阪が「文化として」世界に誇れるべきものは、残念ながら文楽しかない、と僕は思う。当然よしもとではない。どれだけのひとが理解したかはわからないが、ボクが観た回にもたくさんの外国人(中国・韓国の人は一見わからないので、ここでは白人の人々)がたくさん観に来ていた。

 大阪市長という、大阪の文化を守っていく人の立場であれば、PRして、もっと観に来てください、面白いですよ、と言わなければならないのではなかろうか。そういう意味では、このひとは正直ともいえるが、まず、文楽を理解しなければならないだろう。なぜユネスコが、世界無形文化遺産に指定したのかを知らなければならないだろう。ショウビジネスとして成功しているから評価されたのでは、もちろんない。歌舞伎もしかり。

 自然もそうである。ある土地をどう利用するのか、商業施設を建設するのか、高級リゾート地にするのか。それとも、地球や日本の大切な自然として保護するのか。利益を生みたければ規模の大小はともかく開発するしかない。一方で、一度失われると二度と元には戻らない貴重なものとして、利益どころか、支出を覚悟しても守らなければならないものもある。

 京都市長が「祇園祭もいつまでも伝統伝統って言ううてても仕方ないでしょう。山鉾もディズニーランドのパレードをみならって現代風にエレクトリカルにいくべきです」などと発言したらどうか? 

 日本の文化に対する行政の姿勢、文化行政の遅れは、そのまま日本人全体の文化に対する態度に通じる。日本人のアイデンティティとは何か、日本の文化とは何かを真剣に考えてこなかった。GHQの責任もあるが、戦後はないがしろにしてきた、もっと言えば否定してきたといっていいだろう。

 日本産の文化ではないが、たとえば映画を例にとっても、日本ではアメリカ式に商業(ショウビジネス)でしかないが、フランスやイタリア、お隣の韓国にも国立の映画学校がある。映画は自国の文化だと胸はるアメリカは、商売としても最大の映画の輸出国であるし、ショウビジネスそのものがアメリカの文化ともいえるだろう。また、大学での各方面のさまざまな研究に企業が多額の寄付を出す、というお国柄だから、「支援」のバックボーンが根本的に異なる。映画の内容を見ても、アメリカは強烈な自己礼賛の映画もあるが、これで観客動員が見込めるのかというほどの強烈な自己批判の映画も多い。採算が取れているのかどうか、その辺の事情は知らないが、そんな内容の映画でもそこそこ成り立つのだと思う。その懐の深さはなんとなく感じている。そもそもあの人たちは(先住民は別として)民族としての文化がなく、あえて語るならそれぞれの出身民族から引っ張ってくるしかない。

 戦後教育を受けてきた僕にとって、国家に対するナショナリズムは、道理はともかく生理的に受け付けないが、文化に対するナショナリズムは、日本人はもっと持つべきだと思う。明治維新以降、どうも欧米に対する気後れと言うか、憧れが先に立つ民族になってしまった。ボクにもそういう傾向がある。

 たらたらと話がぶっ飛んできたのでこの辺でお開きに。結論。

 大阪市長が大阪の文化を衰退させる方向へ導いてどうするのか。これは最悪の事態ではないのか。「都」となった大阪が世界に発信する文化として、このひとは何を掲げる気なのだろう。

 橋下さん、まず、歩み寄りから始めませんか。お忙しいかもしれませんが、テレビで活躍する人はほうっておいて、音楽や演劇や映画や絵画や文学や、そういう利益を挙げるかどうかよくわからないものを死ぬほど見て、味わってみませんか。そうしていったんは文楽の世界にどっぷりとつかって、その上で、どうすればもっと文楽を大阪の誇りある文化として世界に発信していけるのかを、考えてみませんかね。

 まあ、ボクもえらそうに言えるほど文楽は観ていませんがね。でも、ボクは市長でも知事でもないから理解しなきゃならん義務もないし。でも、橋下さんにとっては義務ですよ。

 まあ、一部橋下さんの意見に賛成するところもあるけどね。その辺は前回のブログを見てください。

*おお、橋本と書いていました。マイちゃんさん、ご指摘感謝。

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コメント

昨日の六甲山のバテない歩き方講座、お天気もよく楽しく参加させて頂きありがとうございました。
翌日にも疲れが残ることなく、歩き方で随分変わることを実感しました☆
帰りしなも色々と山のお話が聴けて、これからも色々な山に登るのが楽しみになりました!!
次回講座も楽しみにしております。

投稿: m.sugihara | 2012年7月29日 (日) 11時08分

橋本じゃなく橋下ですね。

文楽の話しは新聞で
読みましたが
結局は自分の興味のない事はどおでも良いって感じを受けました。

投稿: マイちゃん | 2012年7月30日 (月) 01時09分

まさに、おっしゃる通り。
ご自分に感性がないのは仕方ないとして、それを公言する神経ってなんなんだろう。
大阪発信の文化を守り、未来に残していくっていうのが首長の役目だと思うが、、、。はっきり言って、ハシモト、あほですわ。

投稿: やま | 2012年8月27日 (月) 16時23分

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