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2012年9月21日 (金)

うしろすがたのしぐれていくか

 昨日はなにやら忙しかった。というより、連日もう、パニック状態で仕事に追われている。

 毎年恒例の『関西ハイキング』はじめ、各方面の書き仕事が集中して何がなにやらわからない。昨日は、京都府大の牛田先生とお会いし、いろいろと話を聞いた。腸内細菌学者の先生だが、京大山岳部出身であり、まあ、正真正銘の山ヤであって、楽しい話をお聞かせいただいた。今まで知らなかった方々とお会いできるのが、なんともこの仕事の面白いところである。

 いったん事務所に戻って、ぽろぽろと原稿を書いて、夜にはあまりにご無沙汰していたので、今回はどんなに忙しくてもという気で、日本山岳会関西支部の委員会に出向いた。

 そして今日は朝から病院である。待ち合いのお供にと、出掛けに本棚から『山頭火』の文庫本を取り出した。ポケットに入るからという理由で、なんとなく久しぶりに手に取ったのだった。

 しかし、種田山頭火の破滅的な人生を病院なぞでたどるものではない。その自由律俳句が、心にきつい。

 しかし、「咳をしてもひとり」の尾崎放哉といい、昭和初期の自由律の俳人の世界はただならぬものがある。荻原井泉水周辺とでもいうのか、この2人の壊れた漂泊の俳人を、行く先々の俳人や友人が面倒を見ている。現代より貧富の格差が激しかっただけに、面倒が見れるひとはそれだけの余裕があったのだろうか。現代日本では、ナンボ仲のいい友人でも、何日も逗留したり、宿の手配を求めたり、転がり込んでは酒を飲んで自分を失い、覚めては反省し、また酒に飲まれて、などという人間を面倒見る余裕などありはしない(もちろん自分で行乞もしている)。無心をされるたびに、金を送る奇矯な人間もいない。そういう意味では、一時的な「放浪」はあろうが、人生そのものが「漂泊している」ような人物が現れることはないのではないか。

 しかしまあ。。。面倒だ。

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コメント

久々に読ましてもらいました。
で、朝から病院ってあるけど具合悪いんか?

投稿: K.Tsuzura | 2012年9月29日 (土) 22時22分

こんばんは。

現在、漂泊中・・・。国際ガイド、角谷氏には「そんな野良犬のような生活がうらやまし〜」と褒めていただきました。

離婚、闘病、休業、出会い、回復、業務再開・・・。山有り谷有り。人生は楽しいですな。

投稿: sekitori | 2012年11月 2日 (金) 23時35分

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