« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月

2013年4月30日 (火)

GWの遭難

 ゴールデンウィークの前半が終了した。残念ながら早くも遭難ニュースが聞こえている。白馬岳、杓子岳、八ヶ岳、富士山・・・・・・。

 昨年を上回る勢いである。今日も天気は荒れ模様だ。明日も良くない。

 白馬岳では雪崩遭難が発生した。大雪渓では過去にも同時期に雪崩遭難が起こっている。一般に考えて、谷筋では今の時期は雪崩の恐れがある。可能性で言えば涸沢も危ない。雪崩遭難は捜索する側にも2次遭難のリスクが高い。

 山岳誌では、残雪の山歩きを楽しげに紹介しているが、その記事周辺には必ずリスクマネージメントの記事が掲載されているはずである。ない雑誌は信用しないほうがいい。

 山には「死」が隣合せにある。それは季節を問わない。しかし、今の時期、アルプスは雪崩、富士山は凍結する。

 いろいろな人と接し、話を聞いていると、初めて残雪の山に登る人がいて、その人を連れていく人に2つのタイプがあることに気づいた。

 しっかりした雪山装備を用意しろという人と、軽アイゼンで十分だという人と。前者は危険性を十分に考慮して、結果、オーバースペックになるかもしれないが、最悪の場合を考えている慎重派の人。後者は、状況が良ければ「行けてしまう」だろう、最低限の装備だけを考える、「イケイケ」の人。同じ危険性のある山に入って生き残る確率が高いのは、いわずもがな前者の方だ。

 初めて残雪の山に行く人はかなり多い。初心者のみで行こうというのは論外としても、連れていってもらう場合は、引率者の能力がその初心者の今後を左右するような気がする。十分なリスクマネージメントが出来ていなくても「行けてしまう」場合の方が多いからだ。そして、「6本爪のアイゼンで行けるよ」というような乱暴な理解をしてしまうことになる。

 たくさんの困難に遭い、苦労を経験して、ステップアップするという考え方もあろう。リスクの全くない山に、果たして魅力があるのかという主張もあろう。たしかに全てが予定調和であれば、それはディズニーランドやUSJに出かけるのと変わらない。そこで事故があれば、責任はあくまで施設側にある。山では事故に遭った自分に責任がある。自分で道を切り開き、困難を乗り越えることこそ山の魅力だと。

 登山は「冒険」なのか、「レジャー」なのか。議論の余地はない。一部の先鋭的な人を除き、多くの人にとって、それはレジャーである。

 しかし、バリエーションか一般コースかの違いはあっても、その舞台は同じだ。雪崩に遭えば、滑落すれば、初心者であろうがベテランであろうが死が待っている。その人のスキルがどれだけアップしても、その分レベルの高いフィールドへ出かけるわけだから、どれだけベテランの登山家であっても、死ぬときは死ぬ。

 誤解の無いように書いておくが、こんなことをブログに書くのは、今回遭難した人たちへの批判ではない。よほどの能天気な人でない限り、この時期、今回遭難があった山に登ろうとする人はいないだろう。大雪渓の雪崩にしても、自分が遭うとは思っていなかったということであって、雪崩の危険性がないなどとは思っていなかっただろう。

 そうではなくて、山、あるいは自然に危険性がないと思っている人たちに向けて書いている。

 

 僕たちは、山の楽しさを伝え、山に登って幸せな時間を過ごして欲しいと願う。しかし、山行に高揚した気持ちに水を差すようだが、やはり危険性を伝えねばならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月29日 (月)

GWの関西の山

 検索ワードを見ていると、GWに行く関西の山を探している方が多いようにお見受けする。

 そうですね。新緑だし、花も咲いているし。

 一般的には標高の低めの山、1000m前後の山がいいのではないでしょうか。というのは、例えばこの時期、張り切って大峰山脈などに出かけると、実はまだ景色は冬枯れだったりするのです。大台ケ原や氷ノ山もそうですね。5月中旬から末ぐらいになればこの辺も良いとは思います。

 新緑は自然林の山であればどこでもいいでしょう。里山のコナラの芽吹きも美しいですし、スミレはもちろん様々な花が咲いています。

 昨日は六甲山、水曜日は金剛山に行ってきましたが、六甲は上の方はコバノミツバツツジやオオカメノキ(ムシカリ)などが花盛りでした。何度も口を酸っぱくしていっていますが、芦屋川~六甲最高峰~有馬温泉に抜けるコースは、良いコースですが一度行けばいい。六甲山は大きいし、コースバリエーションも豊富です。昨日は裏六甲の地獄谷に行きましたが、2,3のグループに会っただけで、GWの六甲にしては静かな山歩きを楽しめました。

 金剛山も千早本道にこだわらず、自然林のあるコースを選びたいですね。

 カタクリなどの花は近郊ではそろそろ終わりですが、滋賀県北部、マキノの赤坂山や鈴鹿の御池岳あたりに行くとまだまだ楽しめるでしょう。御在所岳あたりもツツジの真っ盛りではないかなと思います。

 ただし、今年は花は早めに咲いているものが多いので、終わってたらすみません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月26日 (金)

久しぶりに朝まで

久しぶりに朝まで仕事をしている。

なんだか久しぶりで新鮮な気分。

でももう寝ます。

ごめんなさい、大武さん、B編集部の方々。お先です。

おやすみなさい。落ちます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月23日 (火)

THE BLUE HARTS

 K君が、「今日、僕、ブルーハーツのDVD持ってきてるんです。4枚組のやつ。加藤さん持ってます?」と、言ったのは昨日のことだ。

「いや、見てないなあ」

「貸しますから見ます?」

と言われたので、借りた。

 ブルーハーツに触れたのは、ちょうど二十歳前後だったかなあと思う。するってえと、もう25年以上経っちまっている。言ってる間に30年になるかも知れんというのは、恐ろしいことだ。アロハ空港。

 青春であった。というような簡単な話ではなくて、血となり、肉となってしまった。同じように、ブルーハーツに染まってしまった先輩が、去年だったか、一昨年だったか、一緒にふぐをつつきながら寂しそうに言った。

「ブルーハーツがなあ、世の中ダメにしてしまったなあ。『そのままでいいんや』って、全部許してしまったからなあ。そのままではなあ」と、しみじみと振り返った。

 なるほどなあと思った。しかし、その先輩も人生に対する反省の色を見せながら、未だにやりたいことをやっている。

 そして僕は今、2枚目のDVDを観て(聞いて)いる。新鮮さなんて微塵もない。初めて見る映像であろうがなんであろうが、ブルーハーツはブルーハーツだ。今や甲本と真島はクロマニヨンズでも、それも「今」なんだけれども、ブルーハーツも「今」に他ならんのだ。懐かしさなんて微塵もない。

 歌でも映画でも小説でも、「今」聞けば、「今」観れば、「今」読めば、それは「今」だ。

 でもまあ、その当時の、例えば学生劇団の頃の自分のビデオでも見たら、多分赤面してしまうほどで、「今」ではないのだろうなあ。

 ブルーハーツに出会ってから25年以上経って、その間に余りにもたくさんの出来事があって、実はじわじわと僕も変わっていったのでけれど、僕にとってのブルーハーツは結局変わってないというのは、どうなんだろか?

 でも、衝撃的で僕をのめり込ませた1枚目と2枚目のアルバムから比べれば、どんどん美しく、名曲っぽくなっていった、つまり変化していったわけだけどそれも僕にとっては裏切りでもなんでなく、その変化さえも血になり、肉となっていったのはどういうことなんだろう?

 今、僕が見たことのある「萩原朔太郎も今生きてたらロックやってると思うんですよね」というマーシーの言葉が流れた。そして「青空」へと移っていった。僕のカラオケの十八番である。

 この歌を歌うとき、僕はいつも泣きそうになる。中学生のころの悲しい僕が歌いだすからなのだろうか。

 ウルフルズもかつてずいぶん聞かされたけど、彼らは強いのだなあ。強い奴に、気にすんな、ガハハと笑われても、わかりあえんな、と思う。ブルーハーツは僕のところまで降りてきてくれたんだろうなあ、と思う。

 ブルーハーツの歌を歌うとき、全て僕はその歌詞とおんなじ気持ちになって歌える。そこがすごいんだろうなあ、と思うのだ。「青空」に続いて「闘う男」が流れてきた。この歌を歌うとき、僕は僕を奮い立たせている。

 ブルーハーツの歌は聞く歌じゃなく、歌う歌なのだ。

 闘う気持ち。ギリギリの生き方。でもしんどいんだぜ。そんな生き方は。俺の生き方がしんどいのは、不器用なのは、多分、ブルーハーツのせいだぜ。

 そして今、「TOO MUCH PAIN」が流れ出した。そしてこの歌を口ずさみながら、僕はまた、涙を流す。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月19日 (金)

あしたのジョー

 久しぶりにバラエティでも見てみようかとテレビをつけて、地上波にしてチャンネルを回してみた。いや、回したのではなくて、リモコンのボタンを押した。

 気軽に観るにはいいなあ、と思いつつ、僕には直接関わりのない人たちの近況報告だったのですぐにつまらなくなって、ニュース番組をざっくりと観て、結局、ケーブルテレビにして、やっぱり映画のチャンネルをつけてしまったのだった。でも観たい映画ばっかりやっているわけではないので、番組表を見てみると「あしたのジョー」がやっていた。

 なんだろうか。やっぱりグっとくるもんがある。今の時代、リアリティもクソもないが、社会の底辺に生きたジョーがはい上がっていく。いやあ、はい上がっているのではなく、ジョーは何も変わらずそのままで、精一杯生きていく。

 「燃えかすなんて残りゃしない、あとは真っ白な灰だけだ」。

 かっこいいやね。漫画も何度も読んだけど、手元にないからまた買ってみるかなあ。

 高度成長期、ジョーに熱狂した人たちがいた。寺山修司、三島由紀夫のエピソードもよく知られているが、元上司が学生運動で留置場に入れられたとき、一緒になったオッサンに、「あしたのジョー」の連載はどうなってる、と聞かれたそうだ。

 いまほど経済至上主義が蔓延してなかったから、ドヤ街の貧乏暮らしに悲惨さがない。住むとこ着るもの、全部今のワーキングプアと呼ばれる人たちよりもみすぼらしいにもかかわらず、みんな生き生きとしている。ズボンの膝やシャツの肘の接ぎあても、僕の子供の頃はまだ珍しくなかったし、だれも恥ずかしいなんて思わなかった。

 話がずれた。僕もかつては「ジョー」と呼ばれた男である。「燃えカスなんか残りゃしない」。そんな人生を送りたいものである。

 まあ、ジョーは多分10代、こちとらいつの間にか40代も半ばを過ぎちまったい。

 一度しかない人生、「本気」で生きなきゃならんわいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 3日 (水)

病室からは、北は生駒山から二上山、葛城山、金剛山が見えている。
まあ検査入院だから、入院そのものはなんてことないが、結果としてはそれなりにやっかいなことになりそうだ。
ま、これも自然の流れのなかでの出来事だから、さらっと受け止めようと心に決めた。
病院の前に公園があって花盛りだ。日に3度ほど、こっそりとタバコを吸いに足を運ぶ。春の公園を子供達が歓声を上げながら走りまわっている。素敵な光景だ。
ああ、そうだ、以前はそんな彼らの未来のために何かできることはないかと考えていたのに、すっかり忘れていた。
さあ、シャバに戻ったら初心に戻って、考えてみようではないか。
子供達に毎年、素敵な春が訪れますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 2日 (火)

バランス

初めて携帯を使って投稿です。
今日、昨日と、8つほどの検査をした。
まあ、特筆すべきなのは髄液をとったことと、電気生理検査(正式名称はよく知らない)くらいかなあ。
髄液というのは見せてもらうと無色透明で、なんでも脳を守ってるんだそうな。それをなんぼか抜いたもんだから、圧力がさがるんだろう、頭を起こすと後頭部がひどく痛む。とったのは昨日の昼だから、それ以後はベッドでごろごろしている。
こういう時、我が身、つまり人間や生き物の体の絶妙なバランス、不思議、奇跡といってもいい完成度に思いを馳せる。
今ひとつの電気生理検査は、体に電流を流して、なんだろ、モニターに映るカーブを見るようだけど、入院の前日、映画「グリーンマイル」を観たので、ちょいと複雑な心持ちがした。脳の刺激を見る検査は「時計仕掛けのオレンジ」を彷彿させた。
明日はCTである。
まな板の上の鯉である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »