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2013年5月

2013年5月30日 (木)

三輪さんとなんとかさん

 今日は午前中、日本山岳会関西支部の会合があって、そのあと、O夫妻と難波のクライミングジム、グラヴィティリサーチに行った。

 すると、おっとどっこい、見慣れた顔がやって来た。関西ガイド協会の会長の三輪さんである。奥さんと、イタリアはドロミテのガイドのなんとかさん(覚えられなかった)と一緒に登りに来ていたのであった。なんとかさんは、50は過ぎているが、なんでもヨーロッパのガイドのトーナメントとかいうのがあって、チャンピオンにもなったらしい。

 せっかく紹介してもらったのに名前を覚えられなかたのは、もうおいらも焼きが回ったってこった。2週間くらい日本に滞在しておられるらしい。こないだ富士山に登って、この週末は剣に行く予定だったが、天気が悪いのでやめにして登りに来たということらしい。

 6月末頃から三輪さんもイタリア行き。しばらくドロミテで過ごす。「おいで」と誘ってくださるが、まあ、そらあ行きたいけれども、金もいるし、そうおいそれとはいかんのである。

 宝くじでも当たりゃあ別だけど。

 でも行きたいので、懲りずに誘ってください。

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2013年5月28日 (火)

赤坂山と子供たち2

 夕方に、現地から電話をもらった。

 比較的詳細な話を聞くことができた。その場で僕は「えらいなあ」と、うなった。

 子供たちは、寒風から福井県側に降りてしまっていた。というか、道を間違えた時点では、どうやら先生を含む集団で入り込んだらしい。が、その後、2人を残して全員が高島トレイル上に戻ったのである。

 ガイドのことや先生の動きまでは詳しく聞いていないが、間違えた地点が分かっているので、もう一歩追求しても良かったように思う。ただし、遭難当日は、捜索隊も2人が迷い込んだ谷には入っており、日没で引き返したようだ。現地の状況が分からないので、不容易な憶測は控えるが、なんにせよ、もう少し先に進んでいれば昨日のうちに2人を発見できたかもしれない。

 2人は谷を降りて滝で行き詰まったようだ。「道に迷ったときには谷を下るな」というのは、こういうところからきている。ここまでは悪いパターンに入り込んでいる。しかしそこからがえらいのだ。、そこでビバークを決め込んだのはえらかった。そしてビバーク後、明るくなってからも、下ろうとはせず逆に登り返し、登れそうなところから尾根に登ったというのもえらかった。腹は減るし疲れているだろうから、さらに下ろうとしてもよさそうなものだ。尾根も相当急斜面で苦労したようだ。

 その後は、報道されているとおりで、自分たちでトレイル上に戻り降りてきた。それもえらかった。

 そんなわけで、団体から故意に外れたことは大いに反省すべきだけれど、その後の行動は素晴らしかったのではないかと思う。

 とまあ、又聞きながら、そんなことを思った。林間学校の小学生だから、登山の基本を知っていたとは思えないのだけれど、ビバーク以後は模範的な行動で、頭が下がる。

 僕のなじみの山域の一つだし、知人も多いので、今日、出てこなかったら、遅ればせながら僕も行くつもりで、万が一僕が見つけたら何を食べさせて何を飲ませて、などと考えていたけれど、いい意味で空振りに終わった。

 えらかったねえ。頑張ったねえ。と、届かぬだろうが、言葉にしてみたくなる僕であった。なんだか嬉しくて、ありがとうとでも言いたくなるのであった。

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赤坂山の子供たち

今朝、赤坂山の子供たちがまだ見つかっていなかったので、現地に連絡した。今日の仕事をキャンセルしようかとも思ったが、2百人が捜索しているというので、今日見つからなければ、明日に手伝いに行く旨を伝えた。
昼過ぎ、地形図とにらめっこしながら電車を降りたところで、無事に見つかったと連絡が入った。
まず、よかった。明日に持ち越しとなったら、雨も降っているし、ヤバくなると思っていた。
たくさんの人たちに迷惑をかけた一夜の冒険。子供たちは今、何を思っているだろうか。

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遭難

 三浦雄一郎さんが無事下山したと思ったら、やはりというか、河野千鶴子さんがダウラギリで雪崩に巻き込まれたとの報が飛び込んできた。つまらない予告はするもんじゃない。

 そして、高島市の赤坂山で児童2人が行方不明になっている。昨年の上之宮中学の明神平の遭難と違い、今回は教諭が付いていない。心配だ。

 明日、朝イチで、現地に連絡を取ってみようと思うが、現在夜を徹して捜索が行われているところだろうから、事情を考えるとおいそれと電話するのもはばかられる。

 現地は周辺を熟知した人が多いので、子供たちが「近道がある」と言って集団を離れた地点さえわかればすぐに見つかると思ってはいるのだが、まだ見つかっていないというのは。

 知ったのが夜中だったので、行けません。すいません。皆さん、そして子供たち、頑張ってください。

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2013年5月27日 (月)

三浦雄一郎さんとエベレスト2

 三浦雄一郎さんが、無事、カトマンズまで戻ってこられた。

 最後はヘリコプターだったようだが、まずはよかった。一安心だ。おつかれさまでした。

 空気が薄い中で、C2までヘリコプターもよく上がれたと思う。ヘリコプターの使用に批判もあるかもしれないが、80歳でデスゾーンまで自力で上がったのだから、そこのところを素直に評価したいと思う。

 エベレストはお金があったら登れるという人もいるが、ガイド登山にしたって高所では生命の保証まではしてくれない。高所にいるというだけで死ぬときは死ぬ。

 こういう仕事をしていると、どこそこで誰がどうしたとかいう情報が突然飛び込んでくる。できれば聞きたくないのだが、こういうエクスペディション的な登山でなくったって、そういうことがある。

 僕だって時々は変なところでごそごそしているから、そういうこともあるかもしれない。

 まあ、人生そんなもんか。

 三浦さん、おめでとうございました。

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2013年5月24日 (金)

三浦雄一郎さんのエベレスト

 ありきたりなニュースで恐縮だが、三浦雄一郎さんが80歳にしてエベレスト登頂を成し遂げられた。

 以前、機会があって三浦さんと富士山を歩くことがあった。2009年のことなので、75歳でエベレスト登頂を成し遂げられた直後のことだ。難病の中岡亜希さんの車椅子をロープで引いて富士山に登るというプロジェクトだった。ごくゆっくりとしながらも淡々とした歩調で歩き、写真を撮る当方に気を遣って自分の歩く位置まで考えておられた。たしか骨折が治られたすぐあとだったので、長女のエミリさんが無理するなと注意をされたかと思うが、意に介せずで車椅子を引っ張っておられた。80歳のエベレストはともかくとして、日本の冒険家としては傑出した存在だ。

 折しも今年の正月、エベレストBCを見下ろし、かつエベレストを見上げてきただけに、感慨深いものがある。

 しかし登山はまだ終わってはいない。ニュースではまだサウスコルだそうだから、無事下山されることを祈っている。

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2013年5月13日 (月)

BEーPAL

 今月号のBEーPALが送られてきた。

 久しぶりというか、2回目の仕事であって、ただし、付録のロングトレイルのガイドを2つほど書いたのである。

 読者としての付き合いは長い。最初に手にしたときは高校生の時である。なので、かれこれ30年ほど前。確か通巻22号であった。当時僕はルアー釣りが好きで、その記事が載っていたからだったが、その後、この雑誌を通じて様々なアウトドアアクティビティに目覚めたのである。

 当時は登山というよりはバックパッキングが主流だったような気がする。バックパッキングも現在のように単にパック(ザック)を背負った海外旅行のような意味ではなく、それは放浪であり、ウィルダネスへの旅路であった。『メルビル男爵のバックパッキング教書』というコミック風のハウツー本をバイブルのように読んでいた。

 初めて買った音楽テープはカントリーの大御所であるジョン・デンバーのベスト盤だったが、その購買理由は『BEーPAL』にそのインタビュー記事が掲載されていたからだし、植村直己さんのインタビュー記事を読んで、その朴訥な人柄に初めて触れたのであった。

 もちろん、山と渓谷社から出ていた『Outdoor』も時折買った。

 大学生になってアウトドアからいくらか遠ざかったが、釣りは続けていた。その後、山と渓谷社に関わるまでの間、釣りはバス釣りから渓流釣りに代わり、山にも登るようになった。

 異論はあろうが、この20年ほどの間に「アウトドア」という言葉自体が、すでに弱くなってきたような気がしている。どういうことかというと、釣りにしろ登山にしろサイクリングにしろ、それぞれのアウトドアアクティビティは盛んだが、それぞれが専門化されていき、それを総括するように「アウトドアが好き」というような言葉を吐きにくくなってしまった。何でもする人はいるが、「アウトドア」という言葉はとんと聞かない。

 1990年代、オートキャンプが全盛の時代があった。『BEーPAL』も『Outdoor』もこぞって特集したが、そのブームが去ると、アウトドアは迷走し始めた。オートキャンプは、言わばもともとアウトドア志向の低い人たちの、悪い言い方をすれば「何となくアウトドアしてる気分」になるためのひとつの遊びだと思うのだが、そもそもがコアな人たちではないものだから、足が遠のくともうそれきりだ。子供に自然を味わわせたいという真面目な人たちもいただろうが、外でバーベキューして酒飲んでだべって、ということが目的なら、わざわざ不便な(オートキャンプ場は山のテント場と比べれば旅館に毛の生えたようなものだが、旅館よりは不便)テント生活なんぞする必要はないのだから、まあそうなる。

 かくして、残念ながら『Outdoor』は休刊してしまった。釣りを特集しても専門の釣り雑誌があるし、トレッキングにしても、山と渓谷社にはそれこそ『山と渓谷』や当時は『ヤマケイJOY』もあった。最後には元々のカラーであった硬派な雑誌に戻り、その頃の本は今見てもいい雑誌だと思うが、ただし硬派過ぎて、これは今あっても買う人は限られてしまうだろうな、と思う。

 その意味でも、BEーPALはよく生き残っている。途中でライフスタイル誌への転換があった。扱う幅が広がったが、本質的なところでは変わっていない気がする。

 今回の特集はロングトレイルだったが、はっきり言って本誌では食い足りない。しかしその分を、付録でしっかりと補っていた。いい意味で、小学館の雑誌はこの「食い足りなさ」がミソだ。それは『サライ』にも共通している。食い足りなく作るというのは勇気がいるし、なかなか難しい。僕なんかはどうも欲張りすぎて、重い作りになってしまいがちだ。

 まあ、僕が作るのはハイキング(あるいは登山)の専門誌で、アウトドア全般を扱う『BEーPAL』とは、本質的に読者層も違うから一概には言えないのだけれど。

 気が付けば、自分が読みたいから雑誌を買うということがなくなってしまった。登山・アウトドア系の雑誌は、ほぼ仕事意識で買う。たまであるが、『ナショナル・ジオグラフィック』や『文藝春秋』を買うくらいか。寂しいもんである。

 時代によって、時代が要請するものは変化していく。その中で随時情報を発信していくのは難しいが、それでも長く続けることができているというのは何かがあるのだろう。

 

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2013年5月12日 (日)

加藤則芳さんのこと

 今日、朝日カルチャー講座の現地講習に六甲山に行った。電車のお共に、加藤則芳さん著の『日本の国立公園』をザックに入れ、読みながら現地に向かった。

 帰ってくると、僕のヒマラヤ紀行が載った『ワンダーフォーゲル』の最新号が届いていた。その冒頭記事で、加藤則芳さんが亡くなったことを知った。

 加藤さんはロングトレイルの第一人者として知られるが、『日本の国立公園』に見られるように、ジャーナリスティックな視点をしっかりと持ち合わせた方で、惜しい人を亡くした。

 2007年のことになるが、出来立ての高島トレイルを登山家の重廣恒夫さんと共に歩いたことがある。挨拶を交わした程度なので、加藤さんも僕のことを覚えて下さっていたかどうか。同性だから、もしかすると覚えてくださっていたかもしれない。その1ヶ月後、マキノ高原で行われた「全国トレイルサミット」でもご挨拶している。この時の写真を見返してみると、山と渓谷社の神長さんや、紀子さんのお父上である川嶋学習院大学教授の姿も見える。加藤さんはスーツ姿である。

 高島トレイルを歩いた時の姿は、雑誌等でよくお見かけする、太い足が印象的なショーツ姿だ。口数は多くなかったが、しきりにメモを取っておられた。

 その後、難病にかかられたことは耳にしていた。ワンダーフォーゲルによると筋萎縮性側策硬化症という。正確な病名までは知らなかったが、確かにそのような内容であったことは記憶している。しかし、こんなに早く逝ってしまわれるとは想像だにしなかった。

 ついでながら、確定はされていないが、僕もよく似た「硬化症」と名の付いた難病を患っている可能性がある。検査入院してみたものの、はっきりとした答えは出ず、グレーゾーンである。まあ、こちとらのんきなものだから、相変わらず山に登っている。

 たまたまであるが、加藤さんの著書を本棚から久しぶりに引き出した今日、加藤さんの訃報を知ることになった。こういうことはたまにある。不思議なものだ。

 ロングトレイルに固執するところは僕にはないが、加藤さんの後を引き継げるような仕事がしたい、いや、しなければならないと、心に思う。

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2013年5月 8日 (水)

自然と観光

 こどもの日に金剛山に登った。ついこないだも登った。

 その帰りに、元YK大阪支局の懐かしい面々と食事をした。7人ほどいたが、うち、男はおいら一人であった。元上司は校了があるとかで忙しく、Tちゃんは、何かインドに行っているらしく、Sは打ち合わせ段階は誰それも呼んではなどと口を出していたくせに、直前は連絡さえ取れなくなって、結局おいらだけになってしまったのだった。今から考えると、わりと女所帯の事務所だったのだなあと思う。

 思い当たるところがあって、今日、その時にも参加していたK君に電話をした。現在OLの彼女は山オンナではないが、適度に山にも行く。屋久島にも行っているので、このところのOLさんたちの間の屋久島ブームについて、その心理を聞きたかったのである。

 なぜ、みんな屋久島なのか、僕にはとってもわかりにくい。屋久島の素晴らしさは誰しもが認めるところであるが、自然に興味のない人たちが目指すのが揃いも揃って屋久島であるというのがどうも腑に落ちない。素晴らしい自然は、大金をかけなくても、本州にもたくさんあるし、僕の感覚では、いくつかあるうちのひとつに屋久島というのがあるのだが、OLさんたちが目指すのは屋久島オンリーだ。

 結論としては、屋久島は憧れの「観光スポット」ということなんだなあ。

 K君は「パワースポットだから」「世界遺産だから」「もののけの森だから」といくつか理由を挙げてくれた。

 それはそれでいいんだけれど、何か寂しい気がしないでもないのだなあ。

「屋久島に行く」「富士山に行く」。でも「北アルプスなんてとんでもない」という声を何度聞いたことか。僕からすればおんなじ「山岳」であり、素晴らしさに至ってはいずれも引けを取らんのだ。いや、ほとんどの山ずきの人はそうだろう。

 山じゃないんだろうなあ。もっといえば、自然でもないのかもしれないなあ。多分人の手が入っていない、どっぷりと自然につかるところなどは見向きもしないだろうしなあ。

 いかんとは思わんのだけれど、これでいいのだろうかという思いは残る。

 自然は観光資源でもあるのだけれど、環境資源でもあるのだということを、上手く伝え、理解してもらうすべはないのだろうかなあ。

 そうすれば、身近なところから特別なところまで、自然というものにもっと目が向くだろうになあ。

 屋久島に入島する人は、世界遺産登録の平成5年で20万人、ピークの19年は40万人を超え、現在30万人後半で推移している。

 なんか末期的な気がしているのはなぜなんだろう。自分でもよくわからんのである。

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2013年5月 4日 (土)

日本国憲法

 せっかくなので、日本国憲法について書いてみようと思うんである。

 憲法改正論議が今のはやりである。

 まず最初に。安倍晋三首相が憲法改正に強い意欲を見せている。まあ、単純にいえば、祖父である「昭和の妖怪」岸信介の成し得なかった「自主憲法制定」を、成し遂げようということだ。

 自民党はじめ、改憲を支持している政党は、もう少し憲法成立過程を国民にわかりやすく説明すべきだろう。それは、いろいろな論説が飛び交い、不透明極まりないが、連合国側、狭義では連合国最高司令官マッカーサーをトップとするGHQ、さらに言えばアメリカの押しつけ憲法ということは間違いないようだ。民政局長ホイットニーが、その意に沿わない日本側が作成した大日本帝国憲法改定案を一蹴し、GHQが作成したにわかづくりの憲法草案を天皇を戦犯としないことを条件にして受け入れさせたという(『戦後史の正体』(孫崎享著))。ライシャワーはその著書の中で「マッカーサーは自分で日本国憲法を書いてしまった」と書いているという(同書)。現在の日本国憲法は、GHQの草案を日本語に訳し、修正を加えたものであるらしい。

 GHQ、さらには米国の目的として、日本の再軍備を阻止することがあったのは確かである。岸信介の評価はともかくとして、彼が米国の意図が反映された憲法を廃棄し、自主憲法制定を目指したのは、ある意味では正しいかもしれないし、その悲願を受け継いだ安倍首相の考え方も、その見地からすれば正しいかもしれない。米軍はその後、朝鮮戦争という自由主義と社会主義の戦争の中で、再軍備阻止の方針をご都合主義で反転させ、今の自衛隊の前進である警察予備隊を組織させたのは今更説明は必要ないだろう。

 しかし、今、考えなければならないのは、現在の日本国憲法が間違っているのかということである。否定すべき内容なのかどうかであろう。戦争放棄という人類共通の理想は、間違っているのか、ということだ。

 はっきりと言えば、戦争とは、殺し合いである。単なる戦闘の機械を殲滅するのではなく、相手の兵力をそいで、つまり相手国の国民を殺して勝敗を決する。自民党の憲法改正案は戦争放棄そのものを否定しているわけではないが、国際的な秩序に維持に対する活動に関しては認めているわけだから、かなり微妙な表現となっている。解釈のしようによっては、「国際貢献」という名目のもとに派兵される可能性を含んでいる。大義名分であった大量破壊兵器を見つけることのできなかったイラク戦争。一部アメリカ高官の意図的な情報操作さえ取りざたされている戦争に対し、小泉首相は「支持する」と明言した。その総括、責任追求さえしていないような日本政府(自民党政権)が、国際貢献、あるいは米国貢献を理由に派兵する可能性を含めてよいものかどうか。

 また、熟読すべきは、その前文である。僕たちがそらで読めるほど暗記させられた前文が、見事に変えられている。暗に国防のために命を投げ出すことを促す内容や、ナショナリズムを煽るような文言に占められている。以下のリンクからその内容を確認して欲しい。

http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

 僕自身は、ある意味ではナショナリズムを非常に肯定する人間であるが、この前文はどうであろう。理想と理念を掲げた現在の前文に対し、抑圧的で、場合によっては、ある人の発言が、憲法によって、戦時中のように「国賊」あるいは「非国民」的な思想の持ち主だと摘発されそうな感じさえ受けてしまう。

 憲法改訂のハードルを下げるために96条をまず変えるというが、正々堂々と国会議員の3分の2以上の賛成を獲得すれば済む話であって、憲法自体が改憲を認めていないわけではない。たかが国会議員の3分の2である。それぐらいの賛成が得られないような改憲は、そもそも問題があるからコンセンサスが得られないのではないのか。その改憲が必要だと国会議員の3分の2が認めるのであれば、それは憲法で認められているのだから、可能なのである。

 2分の1の賛成にするというが、極論すれば政権が変わるたびに、その内容に反対する勢力が改憲していけばどうなるのだろう。国会議員は国民が選ぶ。例えば国民100人中51人が賛成し、49人が反対であったとしても、改憲は通ってしまう。約半分の国民が「否」と言っているのにもかかわらず、である。

 時代によって変えていく必要は確かにあるかもしれない。しかし、そんなに簡単にコロコロ変えることができてしまっては、国民そのものが振り回されるし、時の政権に利用されかねない。ヒトラーのような言葉巧みな人物が現れないとも限らない。自民党の前文には多分にファシズムの匂いがする。

 個人的には自民党案に賛成部分もなくはないが、そんなことは国家に押し付けられたくないということも多々ある。

 押しつけ憲法であろうが、憲法は憲法だ。時の吉田政権がそれを受け入れた。吉田茂がどんなに対米追随型だとしても、国家そのものの根幹をなす憲法を、無条件に言うことをそのまま聞いた訳ではないだろう。ある部分では、戦後の日本にふさわしいという評価もしただろう。そして我々日本国民は、それを規範として、今ここにある。

 我々の望む憲法とは、どういう憲法なのか。我々国民がもっともっと勉強して、知識を蓄え、精査し、熟慮する力を蓄えなければならない。

 

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2013年5月 3日 (金)

富士山と世界遺産

 富士山が世界遺産登録ほぼ間違いないそうな。

 そのこと自体はとても良いことだなあとは思うけれども、マスコミで報道される反応を見て、うーん、やっぱりそうなるかと、腕組みをしてっしまう。

 世界遺産とは何か。

 その問いに対してこの国の人たちは果たして明確に答えられるのであろうか。

 世界遺産の目的は、その価値を認めた場所の景観や環境の保全を目的とする。さらなる開発などはもってのほか、場合によってはその目的を阻害する余計な施設など撤去してしまってもいいくらいだ。観光客の増加を期待する声がさも当たり前のように語られ、地方行政組織もそこをあてにして立候補する。

 経済至上主義に陥ったわれわれは、1980年代、「エコノミックアニマル」と揶揄された当時と少しも変わっていない。景観や環境を保全するということは、場合によっては立ち入りも禁止されうるということなのだ。

 富士山は自然遺産としては一度否定されたことを忘れてはいまい。それはなぜなのか考えるべきではないか。それを自然遺産でダメなら文化遺産でと、手を変え品を変え、なにがなんでも登録を目指すその目的がさもしいではないか。寂しいが、そこには富士山をどう保全していきたいのか、その方向性がまるで見えてこない。

 富士山の登録に関しては、同時に登録を目指していた三保の松原は除外されるという。その理由は、距離があまりに離れすぎていることと、防波堤が景観を損ねているということだ。それには諸々の問題があって、三保の松原自体、防波ブロック等がないと浸食のために消失の危機に陥っているという。ウィキべディアの受け売りで恐縮だが安倍川の砂防ダムや護岸工事がその原因に挙げられている。いずれにせよ、平安の昔から景勝地として歌われてきた三保の松原は、昭和期の高度成長時代に、既に姿を変えてしまったのだ。いくら歴史的な価値を語ろうとも、その姿が違うのだから、嘆いても仕方がない。われわれが、われわれの手で変えてしまったのだ。

 静岡県知事は、今回の世界遺産除外の報を受けて、景観の回復に言及したというが、結局のところ、世界遺産といういわば「外圧」があって初めてその思いに至るというのが寂しい限りだ。世界遺産であろうとなかろうと、自発的にその価値に目を留め、未来へ引き継ぐということが、国民全体のコンセンサスとして取れていない。

 知床は、林野庁の強引な原始林伐採により傷つき、紆余曲折を経て世界遺産になるに至ったということを、訪れるどれほどの人が認識しているだろうか。白神山地は計画された大規模林道が契機となって自然保護の象徴となって今に至ることを、どれほどの人が知っているだろう。僕が言っているのは、一般の、世界遺産だからという理由でそこを訪れる人たちの話で、少し自然保護に興味のある人であれば、それは一般常識だ。国家が、言い換えればわれわれが、未来に引き継ぐべき価値あるものを破壊してきた、あるいは破壊しようとしてきたのだ。この2つの世界遺産はそのモニュメントなのだ。

 日本は観光立国ではない。また観光立国であろうとするなら、海外の人たちに何を見てもらおうとするのだろう。東京を見よ。大阪を見よ。日本的な町の代表のように言われる京都を大文字山から眺めてみよ。世界遺産「古都京都の文化財」は、街ではなく個々の神社仏閣が指定されているに過ぎない。当然だ。世界中のどこの都市にでもあるようなビルの間に神社仏閣があったからといって総体的な平安時代の街並みが残っているわけでは当然ない。世界遺産に指定された街と比べてみればいい。

 2008年度の資料によると、日本の観光収入は28位。ダントツの1位はアメリカ、ついでスペイン、フランス、イタリアと続く。アジアでは、中国やタイ、香港、マレーシア、マカオなどが日本の上にいる。中国の4倍は致し方ないとしても、タイでさえ日本の約2倍の観光収入がある。マスターカードがまとめた統計によると、訪れた観光客数が最も多い都市がロンドン、次がパリ、3位がバンコク、4位がシンガポール、5位がイスタンブールだそうである。

 余談だが、先日、大阪駅の北ヤードにグランフロントがオープンした。身動きが取れないほどの人の群れ。しかし、景観はいたって無機質で、無味乾燥。そのビルに、単なる商業施設にケータイのカメラを向けている人々。建築家には悪いが、こんなものは東京でも、横浜でも、福岡でも、ソウルでも、上海でも、ドバイでも、ニューヨークでも、どこにあったって別にどおってことない、たかが商業ビルだ。関係者が記念に写真を撮るのであれば理解できるが、見に来た人がなんの価値を求めて写真を撮るのか。無国籍で、無機質なことがそんなに素晴らしいのか。

 観光客が訪れる国の魅力というのは、そこでしか見られない唯一無二のものがあるかどうかではないのだろうか。われわれは利便性と引き換えに多くのものを失ったのではないだろうか。そして大半の人がそのことに気づいてさえいないし、むしろまだそういうものを望んでいる。ニューヨークっぽいもの、パリっぽいものを。では、東京っぽいものとは、大阪っぽいものとはなんだ? いまさら銀座でもなかろう。道頓堀でもなかろう。ニューヨークっぽい所に行きたいならニューヨークへ行くさ。ベネチアっぽいところに行きたければベネチアに行くさ。

 大阪で未開発の最後の一等地と言われた北ヤード。いっそのこと、町ができる前の本来の植生を持つ本物の森でも再現したらすごかろうに。里山でもいい。たとえ人工であろうが、小川があってメダカが泳ぎ、カブトムシが飛び交い、リスがこずえを駆け回る。阪急阪神グループが、そんな痛快で豪快な無駄遣いをしてくれたら、もう企業として惚れこんじゃうけれどもね。

 富士山の話からそれた。矛盾するようだが、魅力ある富士山を考えるのであれば、商売っ気はいったんおいといてはどうだろう。吉田口の5合目に立ってみればいい。あの喧騒は、確かに自然遺産にはふさわしくない。しかし、考えてもらいたい。富士山は山なのだ。日本人が古くから眺め、憧憬してきた大いなる自然なのだ。それをそういう風に評価してもらえなかったということに、しばし恥じ入って見ようではないか。

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