カテゴリー「山で考えたこと」の記事

2013年5月 8日 (水)

自然と観光

 こどもの日に金剛山に登った。ついこないだも登った。

 その帰りに、元YK大阪支局の懐かしい面々と食事をした。7人ほどいたが、うち、男はおいら一人であった。元上司は校了があるとかで忙しく、Tちゃんは、何かインドに行っているらしく、Sは打ち合わせ段階は誰それも呼んではなどと口を出していたくせに、直前は連絡さえ取れなくなって、結局おいらだけになってしまったのだった。今から考えると、わりと女所帯の事務所だったのだなあと思う。

 思い当たるところがあって、今日、その時にも参加していたK君に電話をした。現在OLの彼女は山オンナではないが、適度に山にも行く。屋久島にも行っているので、このところのOLさんたちの間の屋久島ブームについて、その心理を聞きたかったのである。

 なぜ、みんな屋久島なのか、僕にはとってもわかりにくい。屋久島の素晴らしさは誰しもが認めるところであるが、自然に興味のない人たちが目指すのが揃いも揃って屋久島であるというのがどうも腑に落ちない。素晴らしい自然は、大金をかけなくても、本州にもたくさんあるし、僕の感覚では、いくつかあるうちのひとつに屋久島というのがあるのだが、OLさんたちが目指すのは屋久島オンリーだ。

 結論としては、屋久島は憧れの「観光スポット」ということなんだなあ。

 K君は「パワースポットだから」「世界遺産だから」「もののけの森だから」といくつか理由を挙げてくれた。

 それはそれでいいんだけれど、何か寂しい気がしないでもないのだなあ。

「屋久島に行く」「富士山に行く」。でも「北アルプスなんてとんでもない」という声を何度聞いたことか。僕からすればおんなじ「山岳」であり、素晴らしさに至ってはいずれも引けを取らんのだ。いや、ほとんどの山ずきの人はそうだろう。

 山じゃないんだろうなあ。もっといえば、自然でもないのかもしれないなあ。多分人の手が入っていない、どっぷりと自然につかるところなどは見向きもしないだろうしなあ。

 いかんとは思わんのだけれど、これでいいのだろうかという思いは残る。

 自然は観光資源でもあるのだけれど、環境資源でもあるのだということを、上手く伝え、理解してもらうすべはないのだろうかなあ。

 そうすれば、身近なところから特別なところまで、自然というものにもっと目が向くだろうになあ。

 屋久島に入島する人は、世界遺産登録の平成5年で20万人、ピークの19年は40万人を超え、現在30万人後半で推移している。

 なんか末期的な気がしているのはなぜなんだろう。自分でもよくわからんのである。

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2010年12月12日 (日)

老け顔の僕と廃村八丁

 最近、友人夫婦と飯を食っていたら、「JOEさん(学生時代の呼び名である)、髪の毛染めたら?」と言われた。山岳誌の紙面等で僕の顔を見たことがある人はよく見直してほしいが、僕は白髪頭である。だからといって、年をとったなあ、などと思わないのは、僕は20代のころから塊で白髪があって、メッシュを入れているようであったからで、多少増えたからといって、僕自身はそれの延長線上でしかなく、つまり、若白髪としか思っていないのである。

 で、白髪を染める理由は、なんかよくわからんが「もったいない」と言うことなんだそうである。数年前の一時期、とある理由で心ならずも染めていたことがあったが、今やその理由もなくなり、晴れて本来の「自毛」に戻したというのに、そんなことを言われてしまう。

 バカ言っちゃいけねえ。おいら世間様にウソついてまで生きたかねえや! と言うポリシーの元の白髪なのである。

Img_0205s  この間、8日の水曜日のことだが、20代前半であるS原君と、しばらく一緒に山登りができなくなるだろう事もあって、廃村八丁に行ってきた。ピークハントではなく、山の中を放浪する京都北山の「味」と言うものを知ってもらおうと思ったのである。昭和初期に大雪で村の人たちがやむなく土地をあとにしたまさしく「廃村」で、現代から見れば、まあ、よくもこんな山の中に住んでいたなあ、と思うような場所にある。

Img_0249s  平日だから、ほかの登山者はいないのかと思っていたら、さにあらず、50代?のおばさん2人と、40代であろう男性一人とダンノ峠で一緒になった。聞けば僕たちと同じコースで回るようだったが、あまりにペースが違うので一緒に行動することも出来そうになく、先にダンノ峠をたった。廃村八丁に着いて1時間ほどしたら、彼らがやってきた。

 で、軽く言葉を交わすと、僕とS原君を、こともあろうに親子と思ったと言う。

 冗談ちゃうで!と思ったものの、考えてみれば、若くして出来た子だと思えばありえなくもない年の差である。しかし、ショックを感じたのは確かだ。

 「白髪やからですわ」とS原君が言う。

 確かに。白髪を染めれば、年相応に、いや、もしかしたら年齢以上に若く見えるだろう。

 悩ましいなあ。いまさら若く見える必要がある特別な理由でもあれば別だが、これが俺なのだから、そういうモンなのだと受け止めてるんだがなあ。

 とかく、人の世で生きるのは難しいのであった。

 余談だが、出町柳駅で、こともあろうに、山岳ガイドの梶浦夫妻と出会った。行きは1時間ほど同じバスに揺られた。ご主人の方の登山家・梶浦正敕さんは昭和10年生まれなので、こちらは僕の父のひとつ下だから、まあ、親子と間違われても仕方ない年齢である。

 また、帰りは、バスの時間まで2時間ほどあったので、歩けるところまで歩こうと、菅原バス停を後にし、大悲山口を越えたあたりで、件の3人組に車から声をかけてもらった。で、「乗りませんか」とお誘いいただいた。遠慮なくご好意に甘え、鞍馬駅まで乗せてもらった。

 ありがとうございました。

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2010年9月13日 (月)

不可思議なことどもについての僕の希望。in笠ヶ岳

 この夏、山ガールが続々と登場した。同様に「山ボーイ」もいっぱいになった。富士山、アルプス、名山という名山。とはいえ、どうも名山によるようだ。

 昨日、今日と笠ヶ岳に行ってきたが、他のメジャーな山に比べて、割合が低かった。絶対数の問題もあるだろうが、ここ1、2年で参入した人々には、ちょいと渋いのかもしれない。Img_2778s

 山ガールに対する批判的な意見は、実は僕は持っていない。どんなきっかけであれ、やがて廃れるかもしれない流行であっても、山に触れる人が増えるのは非常に喜ばしいことだ。それが流行で終わるか、定着するかは、その人の感受性にゆだねるしかない。心配なのは、富士山を窓口としている人で、富士山で登山の魅力を感じてもらえるのかどうか。

 山で何を見つけるかはひとそれぞれだが、願わくば、グループで行くにしても、カップルで行くにしても、どこかで自分ひとりになる時間を作って、横にいるひととではなく、「山」と対話してもらいたい、と言うのが、僕の願いだ。ぽつねんと、ひとり、そこにいて、その大いなる風景の中にいる「自分の存在」を発見してもらいたい。

 なんて、まあ、わかりにくいかもしれないけれど、職業や名前など、すべての肩書きを取り払った「自分」を見つけるというのはとても大切なことだと思うのである。大自然の価値は、そこにもある。

 ブームと言えば、日本ではいろんなものが流行る。今流行っているのは「食べるラー油」。「食べるラー油」がおいしい。それはいいのだが、いっせいにコンビニが商品化し、ワイドショーが取り上げ、消費者もそれに遅れまじと乗っかる。まあ、何というか。商売するのに必死な人々と、それに闇雲に乗っかるヤツ。

 覚めた目で見ると、不可思議な光景だ。ティラミスか、ナダデココか、ふーむ。

 少しでも流行りそうなものをキャッチして、また、流行っているものをキャッチして商売に結び付けたい。すぐに飽きられるものであろうが。という企業の気持ちもわからんではないが、その姿勢、ポリシーは何かと問いたい。特にマスコミ。そういうはやりものをジャーナリスティックな目で見て、賞賛することもあろうが、真っ向から批判することも大事なのではないか? 一方で、細かいことをあげつらって批判の集中砲火を浴びせ、世の中をがんじがらめにし、人々の心から「おおらかさ」を失わせていっているにもかかわらず、流行にはめっぽう弱い。

 流行に乗ることのかっこ悪さに気づかない、と言う消費者側の態度も悲しい。前にも書いたかもしれないが、数年経って飽きられて、「今頃あんなものを着てダサい」などというものは、もともとダサいのである。流行に乗っている人を横目で見て「ば~か」と、心の中でつぶやくぐらいの気概が欲しいものだ(あえて、それがわかっていながら乗っかるという手もないではない。職業柄等々により)。

 「自分とは何か」。そこに目を向けてもらいたいものである。よしんば山ブームが終わったとしても、人間の思惑などどこ吹く風と、山はいつでもそこにあり、待っていてくれているはずだ。

 ついでに。ラ王のCMが槍ヶ岳で撮影されたものの、現地で登山者に迷惑をかけたとして、お蔵入りになるという。わからんでもないが、発想を変えれば、お蔵入りになるものに邪魔され、登山の日程の変更まで余儀なくされたというのは不条理な話だ。それなら最初から制作すべきではなかった。

 CMの制作会社は、責任を持って、CM放映まで持っていくべきではないのだろうか。でなければ、何のために犠牲になったのか、と、僕なら思う。登山者に迷惑をかけたのなら、それに対する何らかの納得をしてもらえる保証をして、堂々とCMを放映する、というのもありだと思う。

 山というのは一期一会の世界だ。そのときに出会う光景はそのとき以外では出会うことはできない。1時間、時間がずれると、大きく状況が一変することはよくある。制作者はそのことを事前に理解しておくべきだったし、その後の逃げの姿勢には、納得できないものがある。すべての批判を一身に受ける姿勢で、一期一会の機会を損失した人々の犠牲に応えて欲しかったと思う。

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2010年7月26日 (月)

白山の幸せ。山の幸せ

 話題にはこと書かなかったが、時間がなく、ブログを書いていなかった。

 しかし、せっかくなので、書いておきます。

 22日、23日、若者たちにほだされて白山に登ってきた。十数年ぶりのことである。

 コースは市ノ瀬からチブリ尾根を登り、別山を経由して南竜ヶ馬場へ。ここで一泊して、室同を経て御前峰に上がり、観光新道を別当出合へ下山した。

Img_0303s  チブリ尾根は、以前、立っていられないほどの強風で断念したコースだったが、今回、このコースを選んで別山経由にしたのは大正解だった。白山が花の名山であることはいうまでもないが、本コースの花の多さは本峰の比ではない。Img_0509s

 自然に優劣はないが、高山は自然の美しさを理解するのにはとてもわかりやすくていい。そこに身をおいているだけで、至上の幸せを感じる。

Img_0896s  そこに自然があること、誰のためでもなく、だだ、そうあるがために、このような光景として、自然が存在することの不思議。そしてその真っ只中に自分が存在することの不思議。

 若者たちのうれしそうな顔を見るにつけ、さらに幸福感は増してくる。

 生きている、そのことの不思議と幸せ。何が僕をして幸せにしているのか。存在していること、そのものなのか。

 なぞは深まるばかりである。

 こういう瞬間を経験せずして、こういう世界があることを知らずして、一生を終える人は、きっと多いのだろう。残念なことだ。が、どうこういっても仕方あるまい。

 一人でも多くの人に、この瞬間を伝えることができたらと思うのである。

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2010年6月13日 (日)

山と人と。能郷白山へ

 大台ヶ原に引き続き、昨日は奥美濃にある能郷白山に登った。ピーカンではなかったが、天気は上々、もっと言うならば、暑かった。

 大台ヶ原に比べてかなり北に位置するにもかかわらず、すでに緑は濃い。登高距離の短い温見峠ではなく、標高差約1000mを登る能郷からの道を選んだ。炎天下の約1時間の林道歩きで登山口にいたり、1時間ほど、相当な急登の尾根を直登する。汗が噴き出し、一歩一歩とカタツムリのように登っていく。久しぶりに、山登りがしんどいものだと思った。

 しかし、次の一歩を踏み出さねば、上にも下にも行かれない。それが登山の魅力のひとつであることを再認識した。

Img_9236s  開けた山頂には涼風が吹いていた。今年の花が遅いことはわかっていたが、山頂部にはまだ、カタクリやオオバキスミレ、ザゼンソウが、しなびた中にも、ギリギリの色香を漂わせていた。神社の祠前では、前途洋々の若者たちがたむろしていた。

 さて、そんなことで、何らかの拍子で僕に興味を持って、このブログをのぞいてくれた方もいるとは思いますが、僕が語りたいことは、自然のこと、山のこと、社会のことなので、公の場で、プライベートな何かを特別語ることはありません。

 僕は、これからも山を登って、少しでも多くの人に山に触れてもらい、自然と人のあり方を考えていくことでしょう。

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2010年6月11日 (金)

大台ヶ原と登山者と

 とあるDVD撮影のために、大台ヶ原に行ってきた。登山アドバイザーとしての立場での仕事である。今詳しいことは語れないので、いずれ、PRも兼ねて語ろうと思う。

 久しぶりの大台ヶ原であり、今になって初めてだが、入之波温泉の山鳩湯にも行ってきたのである。そこのオジサン、オバサンと話をした。

 まあ、西大台の利用調整による入山人数制限のおかげで、西大台のみならず、東大台の、つまり大台ヶ原の登山客は去年激減してしまったことが話題になった。山岳誌や新聞などでもかなり、「西大台」と言うことを強調してきたつもりであるが、いまだに誤解が解けぬようである。東大台は今までどおり入山規制はない。ので、皆さん、安心して行って下さい。

 ちなみに西大台の入山の手続き等も簡素化され、規制もやや緩和されている。参考http://kinki.env.go.jp/nature/odaigahara/west_odai/west_odai_index.html

 同じようなことで、入之波温泉の五色湯が閉館したおかげで、入之波温泉自体がなくなってしまったように勘違いする人も多いらしい。皆さん、情報は最後まで読んで確認するように。

 さて、顔を見知ったビジターセンターの方たちに聞くと、今年はシャクナゲが10年、20年に一度の当たり年であったらしい。もちろん今日は時期が終わっていて、シロヤシオ、アケボノツツジが満開であった。

 関西外からの登山客も多かった。一方で、観光客の延長線上の人たちも結構いた。まあ、ハイキングと言えばハイキングなので、重装備はいらないが、大蛇嵓あたりでは見ているこっちはひやひやものだ。しっかりと登山の格好はしているが、足元のおぼつかないご老人もいて、思わず大蛇嵓の往復の手助けをしてしまった。

 あいかわらずと言えば、あいかわらずの大台ヶ原であった。

 真冬の経験がないので、一度真冬に訪れてみたいものだ。

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2010年5月11日 (火)

白洲正子とともに湖北へ。菅山寺編

Img_7388s  去る土曜日、湖北の山に登ってきた。山名としては呉枯ノ峰だが、目的は菅山寺である。菅山寺というのは、呉枯ノ峰の北方、大箕山の中腹にある寺で、現在は無住だが、かつては大いに栄えた寺だそうだ。菅と名がつくからには菅原道真ゆかりの寺である。

 最寄り駅は北陸本線の木ノ本駅になる。大阪からは割りと時間のかかる場所なので、車中の友がいると、本棚を見回すと、白洲正子の『かくれ里』が目に入った。白洲さんは近江がお好きであったから、『かくれ里』にも多くの近江近辺の里が収録されており、その気分も盛り上がるだろうと、手に取ったのである。

 10年ほど前に手に入れたものだが、どちらかと言えば、資料として購入し、ところどころ拾い読みしていた程度だったので、通して熟読はしていなかった。今回は十分に時間があったので、じっくりと味わうことができた。

 その凛とした空気感は、人柄なのだろう。読みふけると、全国的にはマイナーな場所ばかりだが、僕が訪れたことのあるなじみの場所が多いので、その場の情景が目に浮かび、どんどんと惹きこまれていった。

 白洲さんはもちろん東京出身だが、これほどまでに近江を中心として関西を取り上げてきた紀行作家も少ないのではないだろうか。能の人なので、歴史的な興味もあったのかもしれない。しかし、関西に住むものにとっても、おそらく知らないことが多く、あまり出かけることのない人には、その再発見にもなるだろう。

 気がつくと、山に関連する記述が多い。かくれ里そのものが山里が多いからそうなるのだが、それはほぼ、信仰にまつわることで、油日岳に始まり、金勝山、葛城山、鷲峰山、白山などが登場する。すごいと思うのは、ある寺院や仏像に対し、よいものはよい、大したことないものは大したことないと言い切ることだ。その確かな審美眼があってこそのことだろう。

 残念ながら菅山寺は出てこないが、そのかわり、湖北の十一面観音像はたくさん出てくる。中心になるのは己高山で、そちらのほうが目立つから、小さな山である菅山寺周辺までは、やはり目が届かないだろう。

Img_7293s  木ノ本の駅から旧北国街道を歩いて菅山寺の参道入口まで小1時間。大きな鳥居が山に向けて口を開けているので、すぐにわかった。その鳥居の横に、「菊水飴本舗」という古い民家があるので、興味を持って「ごめんください」と声をかけた。旧街道の古い飴屋であるが、出された菊水飴は、予想に反し、水飴であった。坂口という集落だが、ここは菅山寺の門前町であり、多くの店があったそうで、今でも、「下駄屋」とかの屋号で呼び合っているそうだ。菊水飴は江戸時代から開業しているそうで、もともと菅山寺のお坊さんが薬としてひろめたものだったようだ。ガイドブックには出ていないが、こんな発見があるのが山旅の楽しさでもある。

Img_7320s   菅山寺は、1時間ほど登って尾根を乗り越した山中にあり、本堂をはじめとするいくつかの堂宇が残っている。山門の大ケヤキはよく知られた存在だ。

 呉枯ノ峰を回って、意冨布良神社に下って、木之本の町を一巡りして帰途に就いた。時間があれば、鶏足寺の仏像が収蔵されている己高閣や「近江一番美しい」と白洲正子の言う高月にある渡岸寺の十一面観音像を拝んで帰りたかったが、今回のところは断念し、今後の楽しみとすることにした。

 白洲正子の書籍はほかに『西行』を読んだきりだが、『西国巡礼』と『私の古寺巡礼』は読んでおきたいと思う。近年、没せられたことと、ご主人の白洲次郎がブームを呼んだことで、再び注目されてきた人であるが、日本とその地方ごとの文化の理解者としては見習うほどの力はなくとも、見習いたい。

 ちなみに『かくれ里』は、内容で言えば、司馬遼太郎の『街道をゆく』によく似ている。しかし、司馬遼太郎の資料を基に構築していくのに対し、感受性を大いに発揮して、自由にその世界を広げていくのが白洲流といえるだろう。それは文化を継ぐものに対する愛情でもある。

 

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2010年4月26日 (月)

賑わいの金剛山へ。いい天気だ。読書日和だ

 いい天気でした。とても。

 こまごました用事を終え、遅まきながら金剛山へ出かけました。あまりにいい天気であったから、もったいなく、また、何十回といった山ですが、意外と同じコースをたどることが多かったので、ちょっと気を取り直して、違うコースを歩いてみたかったのです(仕事上の理由もあるのですが)。

Img_6758s_2  この季節は「花の名山・金剛山」を実感できるカトラ谷を登るのが好きなのですが、今日はそのお隣のタカハタ谷を登りました。

 花はあるにはありましたが、金剛山の特色のひとつである人工林が多くて、思うように花と出会えませんでした。それでも、ヒトリシズカやイチリンソウの群落に出会うことができました。この時期はどこでもそうですが、タチツボスミレも花盛りでした。Img_6785s

 タカハタ谷コースの特筆すべきところは、山頂近くのブナ林でしょうか。金剛山の山頂付近はブナ林に覆われていますが、大径木が多く、なかなかいい林でした。ただ、まだ芽吹いてはおらず、新緑が楽しめるのはまだ先のようです。

 山頂の売店で宮司の葛木サンに挨拶し、「あんた久しぶりやなあ」と言われましたが、昨年暮れにヤマケイJOYの取材で息子さんには挨拶しとるんです。はい。たくさんの人が金剛山に登っていました。家族連れ、老夫婦、カップル、単独行者。僕はうれしくて一人ニヤニヤしていました。

 ダイヤモンドトレールの途中にある展望台からは、遠く大峰山脈が見事に見えていました。紀伊半島全域が晴れていたのでしょう。あんなに深い山が、こんなに近くに見えるとは。下りは、金剛山の古道である小和道(北宇智道)を下りましたが、集落に出てからも大峰山脈は見えっぱなしで、弥山や八経ヶ岳、稲村ヶ岳などに目をやりながら下っていったものです。Img_6907s

 奈良県側の葛城古道の古社のひとつである高鴨神社に参り、サクラソウを観てきました。この時期、神社では桜草祭りをやっているのです。といっても、サクラソウ自体小ぢんまりしたものですから、棚にさまざまな品種の鉢植えのサクラソウが並ぶという、祭りというにはあまりにもさりげないものです。

 風の森まで下り、バスを待ちます。バスは出たばかりで、次のバスまで1時間ほど。いつものパターンでは、駅まで歩くか、となるのですが、あまりに駅が遠いので、まあ、いいかと本をザックから取り出して読み始めました。

 どうも、このところ、時間に追われ、開放感がないのです。これではいかんと、今日はゆったりと腰をすえることにしたのです。「急がない」という努力です。

 取り出だしたる本は、2、3日前に買った加賀乙彦さんの『不幸な国の幸福論』という新書です。このときは、ほかにやはり新書で『フィンランド 豊かさのメソッド』というものと、生物学者コンラート・ローレンツの名著『ソロモンの指輪』、『仏像入門 そのかたちと由来』という本を買いました。

 まあ、購入したのにはそれぞれ理由がありますが、『不幸な』は、著者が加賀さんであることで手に取った本です。加賀さんは小説家ですが、精神科医でもあり、十数年前に『死刑囚の記録』という、加賀さんが東京拘置所の医務技官を務めたころに触れた死刑囚とのやり取りをまとめた新書を読んで、以来、気になっている作家の一人だからでした。

 このブログでゴチャゴチャしたことを書いていますが、それらのことを理路整然と、説明してくれており、とにかく僕の言いたいことのほとんどがこの一冊に集約されていました。読みながら膝を打つこともあれば、自己反省も多々促される本でした。

 たまたま、このブログにめぐり合った人、だまされたと思って読んでみて下さい。ぜひ、読んでください。

 今回、僕がこんな「ですます調」で書いているのは、そのモードをしばらく続けたいと思ったからです。ハイ。

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2010年3月31日 (水)

早春の伊吹山。登れたのか、登ったのか

 今日は、3月一番の冷え込みという予報だった。朝4時30分に大阪を出て、一路、伊吹山へ向かった。

 というのは、先日、一緒に山上ヶ岳に登ったジケンくんが、伊吹山へ行くという。ピッケルまで借りて。しかし、彼は、山登り自体も最近始めたばかりであり、当然、雪山の経験もない。伊吹山の現在の積雪量は知らなかったが、結構あるだろうという予測と、昨日の彦根気象台の雪の予報を受けて、さらに相当量の積雪があるだろうと思い、一緒に行くことにした。

 行きたかったというのではなく、行かねばならないと思ったからである。その前は、スノーシューで行けるところまでと聞いていたので、ああ、そう、という感じであったが、わざわざピッケルまで借りたということを知ってしまったからには、ちょっとほってはおけなかっった。しかも彼が持っているアイゼンは僕が貸した6本爪の軽アイゼンである。楽しみにしている本人を前にしてやめろとも言えないし、当然、楽しんでもらいたい。「仕事」であるが、もちろん、金になるわけではない。しかし、登らせるにしろ、途中で断念させるにしろ、これは間違いなく僕に課せられた「仕事」である。

 名神高速を走っていると、京都・滋賀府県境の低山がことごとく白くなっている。こりゃ、伊吹山はさぞ、と覚悟していると、彦根辺りではまったく雪が降ったような形跡もない。

Img_5616s_2   結果的に、伊吹山も雪がちゃんとあったのは5合目より上で、8時から10時くらいの登りではところどころ凍りついていたが、下りには目に見えて地肌があらわになるほど融けるのが早かった。残雪の山というより、春山といった感じであった。とてもいい天気で、山頂からは白山はじめ、乗鞍岳や御嶽山も望めた。Img_5723s

 下っていると、彼が厳冬期の話を始めたので、さすがに冬山経験者と一緒でないのであればやめとき、と応えた。

 今日は、たまたま、好条件だったから登れたのである。8合目から9合目にかけての急斜面に雪が詰まっていて凍り付いていたとしたら、一気に危険は増大する。志賀に住む檀上さんと電話で話すと、今日は比良の麓でも10㎝ほどの積雪があったから、山上は20~30㎝積もったんじゃないかと言う。伊吹は積雪がなかったことを告げると「南雪やったんやね」と返ってきた。これが伊吹山であったら、当然条件も相当変わっていただろう。

「登った」というのと「登れた」というのは月とスッポンの差がある。特に冬山はそうであろう。自分自身で、その見極めができる力をつけるということも、山では大切なことかもしれない。

 

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2010年1月 1日 (金)

2009年、締めくくりの夕日

 12月31日、JR学研都市線藤阪駅を7時30分に出発した。

 生駒山系を縦断、大和川のほとりのJR関西本線高井田駅に午後9時20分に到着。今、カシミールで沿面距離を計測したら、実に45kmであった。左足ひざにサポーターをし、ストックをつきながらだましだまし歩いた。壊れたひざをさらに壊すと4日からの和泉山脈横断3日間が、元も子もなくなる。

 故障を持ったスポーツ選手の気持ちが何とはなしにわかる。休養してしっかり休めば治すことができそうな気がしても、仕事である以上は、休養ができない。かといって、悪化させてしまえば、さらに状況は悪くなる。

 サポーターのおかげか、下りの階段はかなり痛みが走ったが、それ以外は何とかなった。生駒山系が全体に緩やかなのが助かった。ダイヤモンドトレールの丸太段のアップダウンが続くような道であれば、確実に危なかった。

 府民の森なるかわ園地のぼくらの広場で、日没を迎えた。寒風にさらされながら、夕日に見入っていた。

Img_3601s  暮れゆく街並。美しい。漠然と、われわれの未来を想う。このまま突き進めば、いつかは駄目になる。地球は、もういっぱいいっぱいだ。

 昭和40年代、僕が子どもの頃から比べてでさえ、世界は大きく変わった。生活も大きく変わった。戦後、日本は復興とともに消費を追いかけ続けた。経済を発展させるためには、そういう方法をとるのは仕方なかったのかもしれない。

 エコなどと、いくらスローガンを叫んでも、生活を変えることのできないわれわれは、さらに地球を消費し続けるのだろう。いくら引き返そうとしたって、経済の拡大が前提で生活の基盤ができているのだから、これはもう、矛盾でしかない。

 いくらリサイクルをしてみたところで、化石燃料はいつかは枯渇する。そう遠い未来でもないだろう。

 アウトドア派、インドア派などという言葉があるが、実はとってもナンセンスな言葉だと想う。人間が自然の一部なのであれば、自然の中から食物を享受しいていくしかない。狩りをしなければ生命をつなぐ食べ物にはありつけない。農耕は人間だけのものかもしれないが、それも然りだ。いつしかその代行業のようなものができ、カネというもので取引することが始まったのだろう。いや、最初は個人で、食物の安定供給を求めて始まり、その次は、他人にさせて搾取するという時代もあったことだろう。

 もともと自然との関わりがなければ人間生きていけないものであり、実は、金属にしろ化学合成の素材にしろ、なんにしろ、自然から享受していないものはない。

 忘れているのだなあ、自然の一部であるという記憶を。変な生き物なのだなあ。

 手を変え品を変え、アイデアを出し、生活の向上やそれに対する欲望を刺激して、経済が発展する。市場経済とはそういうものだし、金儲けとはそういうことだ。あるいは生活経済の維持という、のっぴきならない「今」の事情もあろう。

 消費は終わらないし、地球の浪費も終えることができない。

 何百年後か何千年後かは知らないが、人間の時代は終わるだろう。

 簡単な足し算と引き算なのだがなあ。

 Img_3611s しかし、せめてこの美しい夕日だけは、地球や太陽がなくならぬ限り、残ってほしい。

 そんなことを漠然と想った。

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