カテゴリー「山と人」の記事

2014年11月17日 (月)

子供と山と

久しぶりに書いてみる。

昨日、和泉市の親子登山教室というイベントをやった。

僕は和泉市出身で、ふとしたことから市議会議員と知り合い、子供を山に連れていくイベントをやってみませんかと提案したもので、ようやく実現したのだった。ひとまず今回は無料イベントで、僕はと言えばノーギャラのボランティアである。

親子合わせて20数名、子供は10名ほどだろうか。

なんで久しぶりにブログを書くかというと気分がいいからである。正直、子供たちの反応にはびっくりした。4歳児から小学6年生まで、岩場やロープ場をこなし、同行した親御さんにしてみればヒヤヒヤ物であったろう。子供たちにとっても冒険だが、親たちにとっても冒険だったに違いない。

子供はたくましい。歩き終わったあとでもはしゃぎ回り、「また行こう、また行こう」と言う。

正直、ここまでの反応は予想していなかった。それだけに、僕にとってもいい体験であった。

子供を取り巻く環境はいよいよ複雑だ。山にはゲームもなければおもちゃもない。でも、自分たちで棒っキレを杖にし、剣にし、松ぼっくりを投げ合って楽しめる想像力がある。想像力のあるうちに、それを伸ばしてあげなければ。

偶然だが、担当課長が、中学校の同窓生だった。遠慮せずにものがいえたのも良かったし、先頭に立って子供たちを導いてくれたのも良かった。

またの機会があるかどうかは和泉市次第であるが、なんとなくそれなりに社会に貢献できた気分があり、いい一日だった。

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2013年5月12日 (日)

加藤則芳さんのこと

 今日、朝日カルチャー講座の現地講習に六甲山に行った。電車のお共に、加藤則芳さん著の『日本の国立公園』をザックに入れ、読みながら現地に向かった。

 帰ってくると、僕のヒマラヤ紀行が載った『ワンダーフォーゲル』の最新号が届いていた。その冒頭記事で、加藤則芳さんが亡くなったことを知った。

 加藤さんはロングトレイルの第一人者として知られるが、『日本の国立公園』に見られるように、ジャーナリスティックな視点をしっかりと持ち合わせた方で、惜しい人を亡くした。

 2007年のことになるが、出来立ての高島トレイルを登山家の重廣恒夫さんと共に歩いたことがある。挨拶を交わした程度なので、加藤さんも僕のことを覚えて下さっていたかどうか。同性だから、もしかすると覚えてくださっていたかもしれない。その1ヶ月後、マキノ高原で行われた「全国トレイルサミット」でもご挨拶している。この時の写真を見返してみると、山と渓谷社の神長さんや、紀子さんのお父上である川嶋学習院大学教授の姿も見える。加藤さんはスーツ姿である。

 高島トレイルを歩いた時の姿は、雑誌等でよくお見かけする、太い足が印象的なショーツ姿だ。口数は多くなかったが、しきりにメモを取っておられた。

 その後、難病にかかられたことは耳にしていた。ワンダーフォーゲルによると筋萎縮性側策硬化症という。正確な病名までは知らなかったが、確かにそのような内容であったことは記憶している。しかし、こんなに早く逝ってしまわれるとは想像だにしなかった。

 ついでながら、確定はされていないが、僕もよく似た「硬化症」と名の付いた難病を患っている可能性がある。検査入院してみたものの、はっきりとした答えは出ず、グレーゾーンである。まあ、こちとらのんきなものだから、相変わらず山に登っている。

 たまたまであるが、加藤さんの著書を本棚から久しぶりに引き出した今日、加藤さんの訃報を知ることになった。こういうことはたまにある。不思議なものだ。

 ロングトレイルに固執するところは僕にはないが、加藤さんの後を引き継げるような仕事がしたい、いや、しなければならないと、心に思う。

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2013年3月24日 (日)

マイク

 マイクというチェコ人の若者がいる。

 こいつはなかなかの曲者で、まあ、外国人らしく日本の登山家はこれっぽっちも知らないのだが、海外の登山家の本は読み漁っておる。

 「ワルテル・ボナッティはスゴイね」とは「ヘルマン・ブールの本はほんと面白かった」とか「レイ・ラシュナル」がどうとか、「リオネル・テレイ」がこうとか。最近の登山家の話は出てこない。話さなかったのかもしれないが。アイガーの話から「ホワイト・スパイダー(邦題「白い蜘蛛」)」の話になって、ずるずると話が弾んだ。

 初めて両親に連れて行かれたのがドロミテだったらしい。13、14の頃だという。だから、気持ちのよりどころはヒマラヤではなく、アルプスだ。

 貪欲で、誰彼誘っては山に行っている。危険なことがしたい。いや、語弊があるなあ。冒険的なことがしたい。言い換えれば、その突き詰めたところにはパイオニア・ワークがある。

 その意味で、安全を第一とする日本の若者と違う。いや、そんな若者もいるけれど、いきなりドロミテに行って、多分フェラータだと思うが、岩に触れさせられたというのは、お国柄というか、土壌が違うのだろう。

 むずかしいなあ。つまり、リスクを冒すことを僕は立場上勧めることはできないが、上を目指すのであれば冒さざるを得ない面があるのは本当だ。「レベル・アップしたい」と彼は言う。

 「日本アルプスなんて初心者でもいけるね」というのは、ある意味本当で、否定できない。20代の頃、何も考えず、山登りをしたこともない先輩と劔岳に登った。僕自身2度目の日本アルプス。先輩と一緒に靴を買いに行ったが、先輩はかっこいいのでワークブーツを買おうとしたが、登山靴の方が歩きやすいですと主張して、従ってもらって、あとで「ほんまやったなあ」と言われた。で、別になんともなかった。カニのタテバイもヨコバイも。

 整備された道を歩くのは、標高がどうであろうと、ハイキングの延長だという考え方だってある。

 ボナッティに憧れるくらいだから、まあ、彼の気持ちからしたらそれは本当だ。

 「経験を積むにしても、リスクの低い方法で積んでいったほうがええで。いきなり死んでも仕方ない」というと、「そう、ヘルマン・ブールもそう言ってる。登山家は経験積む2、3年は死んだらダメだって言ってたね」と抜かしやがる。おいらとブールは大分違うけどなと思いつつ、「結局ブールも山で死んでるで」とは言えなかった。

 マイクの弱点はひとりだということだ。最後は一人でも、その前にちゃんと教えてくれる人が必要だ。そういう人と経験を積めば、一人前になるまでのリスクは大幅に減る。

 ちょっと適当な人を考えてみるかな。マイクが生き残れるように。

 マイク、とりあえずガストン・レビュファのDVDを貸してやるよ。

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2012年9月 3日 (月)

「岳」の終わり

 『岳』の最終巻18巻が出たので、早速買いに走った。

 三歩が、アルプスを離れヒマラヤに行くというので、これは石塚さん、もしやよからぬことを考えているのではと思いつつ、16巻、17巻と読んだが、ああ、やっぱりだった。

 なんかねえ、最後にはいつもこうなるんだけれども。ほんと、いつかは。

 三歩はもともとスーパーマンなのだから、荒唐無稽であろうと、最後までスーパーマンでいて欲しかったんですわね。悲しいのはいやなんですわ。漫画の話なんだからムキにならずともよいのだけれど、三歩という人物にはとても惹かれておりまして、こうありたいと言う、ひとつのモデルでもありまして、だからこの人には何があっても生きて帰ってほしかったんですわね。こういう人にいつまでも生きていてもらわんことには希望も何もあったもんじゃないです。そういう意味では漫画『孤高の人』のラストはホッとしたんですね。

 うーん、釈然とせんなあ。

 こないだのカラフェスで、もしかしたら石塚さんとお会いできるかと思っていましたが、ニアミスで終わってしまったのも残念でした。

 ところで、久々に民放を見ておったら「いってQ」(であってる?)でイモトサンが、剱の源次郎尾根を登っておりました。ガイドが、ICI(IBS)の奥田さんと「岩と雪」の山本一夫さんだったので、あれまあ、と見ておりました。奥田さんは去年、浜坂の「山の声」公演の折に古いピッケルを都合していただいたばかりだったが、山本さんは久しぶりにお顔を拝見した。明るそうだったので、何よりでした。

 ガンバ、イモっチャン! 会ったことないけど。

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2011年3月 1日 (火)

久野さん再訪と高見山

 JAC関西支部の辻さんと、久野英子さん宅に再訪した。先日お邪魔したときは、病院へ行くやらなんやらでてんやわんやだったが、今回は落ち着いて訪問、ちょうど脛をお怪我されたところの抜糸が済んだところであった。

 先日は痛みもあったのであろう、硬い表情をされていたが、今回はとても柔和なお顔をされていた。かわいいおばあちゃんであった。

 女性初のエベレスト登頂時の隊長以後は、奈良に移られてからスキー一辺倒になられたようで、女子登攀クラブの海外遠征には参加はされなかったようだ。山に登るようになった時、いきなりエベレストを目標にされていたというのには驚いたが、結局のところ、自身が登るのではなく隊長という立場ではあったが、登攀を成功させたという、ある意味、登山における頂点ともいっていい目標を達せられたことで、久野さんの「登山」は終わったのだろう。

Img_1081s  その辺はあっけらかんと、さわやかなものであった。ネパール茶に蜂蜜を入れたものをいただいた。アンナプルナ遠征時のリエゾン・オフィサーの息子さんを日本で預かったことがあるそうで、ヒマラヤに足を伸ばすことはないが、その縁でネパールとはいまだに深い縁で結ばれている。

 楽しいひと時を過ごさせていただいた。ありがとうございました。

Img_1084s  で、その翌々日は、関西のマッターホルン高見山へ。前から予定が決まっていたもので、運がよければ寒気が来て樹氷、と思っていたのだが、あにはからんや、折からの春めいた気候で樹氷などは夢のまた夢。しかし頂上付近はしっかりと雪が残っており、一部ツルッツルであった。まだ当分はアイゼンが必要だと思われる。Img_1151s 下山中、ばったりと大人数の登山者を連れた山岳ガイドの笹倉さん出会った。好日山荘のイベントのようである。簡単に挨拶を交わしてそそくさと下山した。

 山で知った人と出会う、というパターンは奇遇とはいえ、結構多い。

 しかし、こんなふうに山で知り合いにばったりと出会うのは、何回あってもうれしくなってしまう。

 などと、最近あったことをツラツラと書いた。とりとめもない。

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2011年2月21日 (月)

in USJ

 きょお、ぼくはUSJにいきました。

 ぼくは、こわいのりものはこわいので、すぱいだーマンとか、じゅらしっくパークとかはこわいので、そこらへんにあるいていたキティちゃんに、「いっつ・あ・すもーる・ワアルドはどこですか?」とききました。すると、かおがきゅうにバケねこみたくなって、「くおら!」ととびかかられて、ぼくはひっしににげました。こわかったです。

 というのは、まったくのうそです。でもUSJにいったのはほんとうのことです。

 きょうは、らじおのしゅうろくがあったのでした。「やまのこえ」というおしばいのらじおどらまです。USJにはMBSのすたじおがあるのです。どきどき、わくわく。

 それで、ごぜんちゅうは、かいぎしつでよみあわせ、ひるからほんばんです。がんばりました。やまちゅうさんもがんばりました。かくたにさんも、にしむらさんもがんばりました。201102211626001 

 BGMと、おんせいはべつべつにとったので、ちょっとかってがちがいました。MBSのしまさんたちが、どんなへんしゅうをしてくださるのかがたのしみです。すたっふのかたたちは、みんなやさしくて、いいひとたちでした。なので、つい、ぼくは「さいごのせりふ、もういっかいやらせてもらえませんか」とわがままをいってしまいました。すいませんでした。

 かとうぶんたろうとよしだくんのおはなし、ぼくたちのなかでは、ろっこうさんでいちどおわったのでしたが、こんどもまた、おわりました。こんなふうになんどもなんどもおわるのです。そしてそのたびに、ぼくたちのなかでは、よいおもいでがふえていくのです。

201102211659001 さっき、かえってから、やまちゅうさんから「さそってくれてありがとう。それだけやねんけど、ありがとう」というでんわがありました。

 ぼくのこころになんだか、あたたかいものがとおりすきていきました。

 みなさん、ありがとうございました。

 ほうそうは、3がつ19にち19じ30ふんからです。おたのしみに。

 おわり

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2011年1月26日 (水)

久野英子さんのおうちへ。日本の女性登山の系譜

 夕方から奈良に出かけた。日本山岳会関西支部の用事で久野英子さんにインタビューに行ったのである。

 ずいぶん前から、関西支部の辻さんから、久野さんを紹介したいので、一緒に遊びにいきませんかとお声を掛けていただいていた。スケジュールが合わずに、機会を得なかったが、今日、ようやく足を運ばせてもらえた。

 久野英子さん。山岳関係の人であれば知っている人は多いのだろうが、一般の登山好きの人でその名を聞いてピンと来る人は、かなりの登山史通であろう。一方で、田部井淳子さんといえば、山好きの人ならかなりの人が「知っている」と答えるはずだ。

 田部井さんといえば、女性初のエベレスト登頂者である。そして、久野さんは、そのエベレスト日本女子登山隊の隊長だ。1975年のことである。

 久野さん、玄関で出迎えてくださったのはよかったのだが、頭にタオルを巻かれていて様子がおかしい。聞くと、われわれを出迎えるために、流しの上の棚からお皿を取ろうと椅子に登ったところ、ひっくり返ってしまったのだとか。居間の明るいところで見ると、右足の靴下が血でべったりと濡れている。久野さんは、一人で傷を見るのは怖かったので、靴下を脱がずにわれわれが到着するのを待っていたのだという。靴下を下ろし、タイツをめくってみたところ、血は止まっているものの脛がざっくりとV字に割れている。すぐコンビニに消毒液やらバンドエイドやらを買いに出たが、結局、近くの外科医へ。13針を縫う大怪我となってしまった。

 自己紹介ができたのは、病院から帰宅後のことである。

 前に、日本で初めて女性だけの隊でヒマラヤに遠征された宗實慶子さんのことは書いた。『関西ハイキング2011』にも、六甲全山縦走にかこつけて宗實さんを紹介した。女性初の8000m峰登頂者、内田昌子さんは、まだ電話で「ご主人、いらっしゃいますか?」程度の話ししかした事はないが、いずれ膝を突き合わせてお話しする機会があることを願う。凄い人たちなのだが、一般の人がわかりやすい表舞台には(今のところ)出てこない人たちだ。

「表舞台」というのは、確かにあって、久野さんとお話していてもそれは感じる。NHKの影響もあって田部井さんが再び脚光を浴びている昨今だ。しかし、その時、エベレスト登頂前の第4キャンプには、アタック隊では田部井さんのほかに渡辺百合子さんがいた。

 残り少ない酸素ボンベを最大限に生かすために、最終アタックが出来るのは一人。山頂を極めたい気持ちは誰しも同じだ。田部井さんは登攀隊長でもあったので、自分で自分を指名するわけにもいかない。2人のうち、どちらを登頂アタック者にするかは、久野さんの一存にゆだねられた。

 もちろん、登頂の可能性を総合的に考えた判断があり、頂上アタック隊員は田部井さんと決められた。しかし、何かの理由で、久野さんの決断が違っていれば、渡辺さんが女性初の登頂者になったということも可能性としては大いにありうるし、酸素ボンベが十分にあれば、2人が同時に頂上に立っていたかもしれない。

 この決断で、田部井さんは「世界のタベイ」になり、渡辺さんの名が広く知られることはなくなった。おそらく、登山家としての力量でいえば、同等か、もしくはそれに近いものだっただろう。

 渡辺さんが下山してきたときに、久野さんは涙して迎えたという。渡辺さんは「登山とはそういうものだから」と逆に慰めの言葉を久野さんに掛けたそうである。

 いまでこそ、ヒマラヤもパーソナルな時代に入ったが、極地法で登山していた時代は特に、登頂者だけの名前が知られ、そのほかのメンバーが歴史に名を残すことのない時代であった。

 訪問時のアクシデントがあり、短時間しかお話できなかったが、日を改めてお会いしたいと思う。久野さんについての詳しいことも、何かの折に発表できたらと考えている。

 

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2010年11月30日 (火)

ミーハーマン

 昨日のことだ。

 店で厳冬期用シューズを触っている男がいた。なんとはなしにその顔をちらりと見ると、見たことのある顔である。

 天野和明。GiriGiri Boysインドヒマラヤ・カランカ峰登山隊でカランカ北壁を落とし、2009年のピオレドール賞を受賞した。知らん人には何のことか判らんかも知らんが、ピオレドール(金のピッケル)賞は、その年のもっとも価値ある登攀に贈られる、まあ、ノーベル賞みたいなもんだ。時々、登山界のアカデミー賞などといわれるが、アカデミー賞はアメリカ映画の話だから、映画でたとえるなら、カンヌの方が適切かと思う。

 で、思わず声をかけちまった。恐る恐る。「天野さんですか?」と。

 まあ、なんと言うか、いまや日本の若手ではトップクライマーと言ってもいい人にちょい舞い上がってしまったわけであります。登山界のことで、そう、舞い上がることもないのだが、なんでかね、舞い上がっちゃったのさ。実は昨年、三浦雄一郎一行と富士山に行った折に、5合目で豪太さんが話しているのを目撃しているのだけれど、その時はまったく顔も知らなかったので、よくわからんかったのだ。たぶん、あれは天野さんだったと思うのだけれど。

 最初から会うつもりであったり、ヤマケイでたまたま会ったりしたのであれば、まあ、さもありなんと言う感じでなんちゅうこともなかったのだと思う。

 で、考えた。何をか? 自分のことである。言えば、雑誌でいつも見てる人に出会い、話するチャンスまである。それに舞い上がったのではないか? とすれば、おお、意外とミーハーじゃん。そんなとこも僕の中にあるのだねと。かわいいとこあるのだねと。自分で考えてみても、まあ、珍しいことでした。

 大体、彼はいくつなんだろ。ヤマケイや岳人を引っ張り出すのもめんどくさいのでしないが、おいらより相当若い人のはずだ。

 で、あれやこれや愚にもつかない話をして、チャンチャン。

 思いがけないと言えば、今日は今日で、20年近くぶりで、かつての同僚とバッタリ出会った。社会人になりたてのころの友人だ。いや、ほんと、びっくらこいだ。10分ほどしか話できなかったけれど、20数年ぶりとも思えぬほど、楽しかった。

 年賀状をやり取りするくらいなのだが、なんともね。嬉しいやね。何も変わることなく話ができるなんてね。ヤツも山をやるので、時々おいらのことは雑誌等で見ていてくれているらしい。

 出会いってのはいいもんでゲスな。と、連日の人とのかかわりのなかで思ったことでありんす。

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2010年11月 8日 (月)

地図読み講座。ほっとひと息

 朝日カルチャーセンターの地図読み講座を、六甲山で行った。土曜日のことである。今回の僕の立場は登山インストラクターだ。

Img_4033s  まず天気がよいことにほっとした。受講の方々は、30代から70代まで、幅広い年齢層だ。コースは東お多福山から蛇谷北山経由で六甲最高峰、有馬温泉。ひとを連れて山に行くことが多い僕だが、昨日の参加者は実に22人。リスクマネージメント上では少し冷や冷やモノであったが、極力ゆっくり歩くこと、適宜休憩を取ることで、なんとか無事全員下山できたのはよかった。

 皆さん熱心で、しゃべりっぱなしだった。地図を読めるようになりたいという方々だから、自立した登山者になろうと心に決めた人たちである。年配の方には、登山暦も長い人が多く、若輩の僕が教えるというのもなんだが、それでも、まだまだ向上しようというその気持ちに心打たれる。

Img_4044s  朝日新聞紙上で僕の名前を見つけて参加してくれた旧友も混じり、盛況のうちに幕を閉じた。満点とはいえないが、まず、及第点といっていいだろう。

 次回は、2月に座学、3月に現地講座を予定している。場所は、道迷いのメッカである神戸市の大岩ヶ岳。詳細が決まり次第、またご報告するので、多数の参加をお待ちしております。

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2010年10月13日 (水)

遭難2

 先日のダウラギリの遭難で、遭難者3人のうちの一人、本田さんの遺体が見つかったそうだ。名前が出ていなかったので知らなかったが、自力で脱出した一人は芦屋市のガイド、島田さんだったらしい。堺市に住む角谷さんが、プロガイド協会会長として、現地で捜索に当たっているようだ。

 角谷さんは、遭難した田辺さんと同じく信州大学のOBである。先日、とある場所で久しぶりにばったりと出くわしたばかり。ちょっと伺いたいことがあったのだけれど、当分は帰国できそうにないなあ、などと、ぼんやりと思う。

 最前線という言い方が正しいのかはわからない。しかし、すぐそこに死を感じながら、死ぬことなど考えず、生きて帰ることだけを考えて臨む人々がいる。

 少し前だが、毎年、厳冬期の羊蹄山で山頂近くからのスプリットボード滑走を楽しんで(?)いるMさんが言っていた。「山が好きなんやから、もし山で万一のことがあったら、本望やろうと言う人がいると思うけど、嫁さんには『悔しい』と言うてたという風に言うてくれって頼んでるんですわ」。

 僕はまだ、そういう登山にまで足を踏み入れてはいないが、たぶん僕自身も、かなり刹那的であることは間違いない。

 山に何を求めているのかは人それぞれ。最前線でもそれは変わらない。たぶん、本人たちにもそれはわからない。

おまけ

大杉谷を検索ワードとする人が多いようなので一言。

大杉谷の下流部が解禁になった。全体で言えば3分の1ほどで、下流からシシ淵まで。その先は、平等ぐら吊橋の敷設工事中のため、一切立ち入り禁止だ。今年は11月30日まで入渓できる。よろしく。

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