カテゴリー「山の出来事」の記事

2013年4月30日 (火)

GWの遭難

 ゴールデンウィークの前半が終了した。残念ながら早くも遭難ニュースが聞こえている。白馬岳、杓子岳、八ヶ岳、富士山・・・・・・。

 昨年を上回る勢いである。今日も天気は荒れ模様だ。明日も良くない。

 白馬岳では雪崩遭難が発生した。大雪渓では過去にも同時期に雪崩遭難が起こっている。一般に考えて、谷筋では今の時期は雪崩の恐れがある。可能性で言えば涸沢も危ない。雪崩遭難は捜索する側にも2次遭難のリスクが高い。

 山岳誌では、残雪の山歩きを楽しげに紹介しているが、その記事周辺には必ずリスクマネージメントの記事が掲載されているはずである。ない雑誌は信用しないほうがいい。

 山には「死」が隣合せにある。それは季節を問わない。しかし、今の時期、アルプスは雪崩、富士山は凍結する。

 いろいろな人と接し、話を聞いていると、初めて残雪の山に登る人がいて、その人を連れていく人に2つのタイプがあることに気づいた。

 しっかりした雪山装備を用意しろという人と、軽アイゼンで十分だという人と。前者は危険性を十分に考慮して、結果、オーバースペックになるかもしれないが、最悪の場合を考えている慎重派の人。後者は、状況が良ければ「行けてしまう」だろう、最低限の装備だけを考える、「イケイケ」の人。同じ危険性のある山に入って生き残る確率が高いのは、いわずもがな前者の方だ。

 初めて残雪の山に行く人はかなり多い。初心者のみで行こうというのは論外としても、連れていってもらう場合は、引率者の能力がその初心者の今後を左右するような気がする。十分なリスクマネージメントが出来ていなくても「行けてしまう」場合の方が多いからだ。そして、「6本爪のアイゼンで行けるよ」というような乱暴な理解をしてしまうことになる。

 たくさんの困難に遭い、苦労を経験して、ステップアップするという考え方もあろう。リスクの全くない山に、果たして魅力があるのかという主張もあろう。たしかに全てが予定調和であれば、それはディズニーランドやUSJに出かけるのと変わらない。そこで事故があれば、責任はあくまで施設側にある。山では事故に遭った自分に責任がある。自分で道を切り開き、困難を乗り越えることこそ山の魅力だと。

 登山は「冒険」なのか、「レジャー」なのか。議論の余地はない。一部の先鋭的な人を除き、多くの人にとって、それはレジャーである。

 しかし、バリエーションか一般コースかの違いはあっても、その舞台は同じだ。雪崩に遭えば、滑落すれば、初心者であろうがベテランであろうが死が待っている。その人のスキルがどれだけアップしても、その分レベルの高いフィールドへ出かけるわけだから、どれだけベテランの登山家であっても、死ぬときは死ぬ。

 誤解の無いように書いておくが、こんなことをブログに書くのは、今回遭難した人たちへの批判ではない。よほどの能天気な人でない限り、この時期、今回遭難があった山に登ろうとする人はいないだろう。大雪渓の雪崩にしても、自分が遭うとは思っていなかったということであって、雪崩の危険性がないなどとは思っていなかっただろう。

 そうではなくて、山、あるいは自然に危険性がないと思っている人たちに向けて書いている。

 

 僕たちは、山の楽しさを伝え、山に登って幸せな時間を過ごして欲しいと願う。しかし、山行に高揚した気持ちに水を差すようだが、やはり危険性を伝えねばならない。

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2012年8月31日 (金)

夏の北アルプス。宴の終わり

 夏のアルプスへ行った。

 涸沢フェスティバル。横尾山荘に2泊、滞在した。「山の声」の朗読公演のためである。山未経験の2人の音楽家に無理を言った。

 たくさんの人と再会した。それが何よりうれしい。

 25日の土曜日、上高地を出発し、各メーカーのブースが出て大賑わいの徳沢に着いてうろうろしていると、ヒザカックンしてくる男がいる。前ヤマケイ編集長の神谷さんだ。そこへ、カメラマンの加戸君がやってくる。彼は翌日、公演の写真を撮ってくれる予定だという。川崎深雪さんは、ちょうどプレイベントの挨拶中だったが、翌日に横尾に立ち寄られるということだったので、失敬して横尾に向かった。

 横尾では、今回の段取りでいろいろと面倒を掛けた、藤間さん、大畑さんが出迎えてくれた。懐かしい山本成人さんの顔もある。横尾山荘の山田さんとは初対面だった。元同僚のまなちゃんが昔、横尾山荘でバイトしていたこともあり、もともと親近感があったのだが、今回の朗読劇にご理解をいただき、こちらの言う無理をいろいろと聞いてくださって、とてもありがたかった。当日は常念小屋にいるという浜坂の「加藤文太郎山の会」からの差し入れを山田さんから受け取った。この場をお借りしてお礼を申し上げたい。

 翌朝、松本に住む福田さんが訪ねてきてくれた。ヤマケイ大阪時代には大変お世話になった人だ。芝居を見たいとおっしゃってくださっていたが、横尾山荘の予約が取れず、残念ながら徳沢泊まりになったのであった。でも、お元気そうで何よりだった。そこに『関西ハイキング』でお世話になっている久保田さんがやってきた。久保田さんは福田さんと同じく涸沢に向かう途中での立ちよりであった。続いて深雪さんも来られて、ご挨拶した。さらに現編集長の吉野さんにもご挨拶。

 午前中、ゲネプロ(リハーサル)を行った。タタミの間である大広間でする予定だったので椅子の養生など、横尾山荘スタッフの方々の手を煩わせてしまったが、山田さん以下、快くこちらのリクエストに応えてくださった。大畑さん、大阪ガスの山納さん、ツヅキさんの見守るなかで行ったが、知らぬ間にひとり増えている気配があり、気がつくといなくなっていたが、ゲネプロを終えてみると、ヤマケイの萩原さんであった。「全部見るのは本番にとっておく」ということであった。

 で、一服して大広間でうとうとしていると「加藤さん、お客さん」の声。表に出てみると、モンベルの島添さんである。イベントで穂高を登ってこられたそうであるが、どこかでカラフェスのチラシを見て、僕の名前を見つけて立ち寄ってくれたのであった。そうこうしているうちのやってきたのが加戸君で、その隣にはライターの大関さん。いつも電話でしかお話したことがないので、ある意味初対面である。加戸君はマクロケッケで、8月はずっと山に入っていてほとんど家に帰っていない様子。山岳誌には欠かせない存在になっている。「最初に加藤さんに写真を見てもらったんです」といろんな人に吹聴してくれるので、照れくさいものの、正直なところ少し鼻が高い。

 気がつけばICIの天野さんがいる。前にちょろっと挨拶しただけだったので、あらためてご挨拶だ。

 夕刻になり、くじら企画の皆さんが到着した。山で『山の声』が上演されることを心待ちにしていただいていた。4時30分ごろ、あたりが薄暗くなってきた。散歩に行くと槍沢方面にでかけたバイオリンの西村さんが帰ってこない。やきもきしていると5時前にようやく帰ってきてホッとした。

 そこへ、フォックス・ファイヤーの寺田ちゃんがやってきてくれた。出発の前々日だったか、「加藤さん、行きますよ」と言ってくれたのだった。彼女は翌日は涸沢に行く予定で、カラフェスを満喫するのだと息巻いていた。

 本番前、御大の神長さんが登場だ。

 そして、本番。神長さんには過分なお言葉をいただいた。

 つらつらとたくさんの名を挙げたが、何が言いたいのかというと、これだけたくさんの人たちにかわいがってもらっていることの、ありがたみをしみじみと味わったからである。ああ、なんと言うシアワセモノか。今回の公演に参加してもらった角谷さん、西村さん、上滝君しかり。山の時間。シアワセな時間。

 翌日、大阪に帰らなければならない角谷さん、松本あたりをうろうろする予定の西村さんを横尾山荘に残し、ボクと上滝君、山納さんで槍ヶ岳に向かった。播隆窟手前で、早朝から槍ヶ岳に向かい横尾に帰るくじら企画の面々と出会う。今晩はボクはテント、2人は槍ヶ岳山荘泊まりだ。

 朝、ご来光のあと、槍ヶ岳に登った。見事な晴天で360度の展望に、台詞通りに山座同定を楽しんだ。下りの鎖場で、登ってきたひとグループの先頭に立っているガイドさんの声が聞こえた。「あの先頭で下ってるのが、加藤文太郎役の方ですよ」。芝居を見てくださった方々らしい。なんか自分が槍ヶ岳の名所のひとつになったみたいで、くすぐったかった。

 4日間。濃厚な時間だった。とある事情により、ボクには相当にきつい山行であったが、思い残すことなく山を味わった4日間であった。

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2012年8月15日 (水)

明神平の遭難(?)

 「明神平」で、大阪市の上宮中学の一行が遭難した。

 13日のことで、14日の昼前に、日本テレビから電話取材を受けた。14日の夕方と今日の朝に多分僕の声が流れたのだと思うけれど、ちょうどヘリで発見された前後の電話取材だったので、とんちんかんなことを言ってないか少し心配だ。

 いろいろな報道を見ていると、「初心者に人気の」というフレーズが付いている明神平だが、初心者と言うのがまた難しい。六甲や金剛山と違い、迷い込んだらとんでもない事態に陥る可能性がある、深い紀伊山地の台高山脈のことだ。変な表現だが「ちゃんと歩けば初心者でも行ける」のが明神平といえる。

 そして、明神平はそういうところだが、その東西南北が初心者向けかと言うと、そうではない。とくに南の縦走路をたどって迷ってしまうことは経験者でもよくあることで、そっちに行ってたらヤバイなという思いはあった。しかし電話中にヘリに発見されたという報道がテレビのテロップに流れたので、ホッとして話をした。

 その後の報道を見ていると、薊岳の西で道を外したらしい。いろいろと言い訳はあるだろうが、「うっかり」というのが本当のところだろう。大雨の中で早く下山したいというあせりもあっただろう。

 昨年の台風以後は、僕は冬に明神平までしかたどっていないので、薊岳のコースの今日現在の様子はわからないが、当然その後も数多くの登山者がたどっているはずだから、しっかりたどっていれば迷うことはなかったはずだ。倒木なんてどこの山だって台風直後はそうなるし、それも含めて歩ける必要があるのは大前提だ。

 引率の先生の経験は知らないけれど、よくあるミスと言えばそれまでの話。学校のクラブの合宿であったこと、子どもたちを連れた大人数であったことなど、先生にとっては心理的なプレッシャーだったろうし、社会的に見れば大騒動にならざるを得ない。

 とはいえ、最初から悪天候はわかっていたのだから、トラブルも考えて、プラス1日の余裕をプランに組み込むなりして計画を報告しておけば、これほどの騒ぎにはならなかっただろう。また、山岳・アウトドア部」の合宿であれば、下見なしで地形図をしっかり読みながら初見でたどっていくというのもありだろうし、さすがに学校の責任もあるから、心配なら下見をしておけばよい。下見をしておきながら今回のようなことになったのであれば、お粗末だ。

 とにもかくにも、無事だったことはよかった。バラバラにならずにまとまって行動したこともよかった。ビバークの方法が適切だったかどうかはわからないが、反省点も含め、子どもたちにはいい経験になったことだろう。先生もしかりだ。まあ、結果論だけれど。

 今回のことで、顧問の先生が悪い立場におかれたり、クラブ活動が休止したりすることを懸念する。ビバークなんてなかなかできる経験ではないし、そういったトラブル時の対処も含めて「登山」であるのだからして。

 がんばれ、上宮中学山岳・アウトドア部。

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2012年3月27日 (火)

金毘羅山へ

日曜日のことです。

思い立って、金毘羅山へ行かんかと、Sを誘いました。

いつもはSから山に誘ってきて、「岩場へ、岩場へ」と言うのですが、いつもその気になれず、結局、登山になっておりました。が、今回はなぜか、ボクから誘ってしまったのでした。当日になって八瀬比叡山口駅に降り立つと、なんや天気が悪い。雪が降っておる。億劫になりつつも、金毘羅山に向かったのでした。

なんでか、岩に触りたくなったのでした。時間ができたからかもしれません。岩というか、ロープに触っておきたかったのかもしれません。なんか、ロープに触っていると、それっぽい気分に慣れるじゃないですか。なんか、「山やってる」って感じと言うのか。

で、岩場に向かいしなに、近所に住んでる梶山さんに電話してみました。

「いや、仕事ちゃうんです。今、金毘羅に来てるんですけど、今日は家ですか? 気が向いたら来はりませんか?」

で、最初はホワイトチムニーにいこうかと思ったんですが、ボクとSのレベルで楽しめるとこを考えて、Mフェースに行くことにしたんです。うじゃうじゃと岩を触っているうちに、梶山さんがやってきました。いや、来てもらってホントよかった。わしらだけじゃ(ボクは1年以上ぶり、Sもまあよくノボットルンですがすごいわけでもない)、モチベーションが持たんかったと思うんです。すべるし。

201203251417000 しかし、散々でした。へろへろになってしまいました。もうちょっと登れてた気がするんですけど。しかし、まあ、ここんとこ1年に1回というようなペースが続いてるんで、立ち込み方さえわからんのですな。まったく登れんかった。ガバをとっても、引き上げる力さえなく、足を置いても立ち上がれない。蛙ですな。悲しき蛙。ゲロゲーロ。ロープがなかったら、100回は死んでました。ベッチャン、ゲロゲーロ。

帰り際、梶山さんちで紅茶を御馳走になりました。ほんで、スキーブーツをいただいちゃいました。

なにが書きたかったのかと言うと、薪ストーブに当たりながら、奥さんのベニシアさんと雑談しているとき、なるほど、と思ったことがあったからでした。

ベニシアさんが言うには、日本語が読めないと言うんですな。彼女は英国人ですが、日本語はもちろんぺらぺらです。だのに読めないと聞いて「えっ」て、ちょっとびっくりしたんですけど、聞くとそれがいがいと心地よいらしい。

つまり、イギリスに帰ると、当然英語が読めるから、読むつもりがなくても電車の広告やら何やらが勝手に目に入ってくる。で、ついつい読んでしまう。情報が次から次へと流れ込んでくる。日本では日本語が読めないから、最初から読む気もない。周囲にあふれている、どんどんと向こうからいやおうなしにやってくる情報に煩わされることがない、そういう意味のことをおっしゃる。それが楽だと。

それがどうしたと言ってしまえばそれまでですが、そういう状況というのを味わったことがない。というか、手持ち無沙汰なとき、いつも何か情報を求めている自分がいるなあ、と思ったのでした。いつしかそれが強迫観念のようになっている。トイレに入っているときも、何か読んでないと時間が持たんようになってしまっている。

良い、悪いは別にして、なるほどなあ、と感心したのでした。ゲロゲーロ。

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2011年1月30日 (日)

冬の武奈ヶ岳と心の春

Img_0947s  比良・武奈ヶ岳の今日は、人だかりであった。天候も比較的安定し、西南稜は風に吹かれていたものの、御殿山などは穏やかそのものである。

Img_0981s  今月は思うように山にいけなかった。元旦以来の登山である。トレースもしっかりとついていて、持っていったスノーシューは出番がなかった。数日前の誰かがラッセルをしてくれたおかげである。感謝。

Img_1002s  しかし、その日の状況によって厳しさがまったく異なるのが冬の山。これのブログを見て、いざ、武奈ヶ岳へと考えている人は、やはり最悪の状況に備えて入山してほしい。

 で、その前日、つまり昨日はゴルフに興じた。約20年ぶりの椿事である。小学校時代の同級生に誘われて、出向いたのである。夜は京都の旅館で昔話に花が咲いた。

 同窓会、といってしまえばそれまでであるが、音信不通であった幼馴染が30年ぶりに集まった。「懐かしい」というひと言ではとても言い尽くせない。

 語りつくせぬこともたくさんあった。そして、僕にとって大きな意味を持った再会だった。ここからは、まったくの私信なので、関係ない人は読んでも意味がわかりません。ので、読まないでください。

 ただ、あの場で話せなかったことがあって、今回参加した誰かが見てくれることを思ってここに記しておきたい。

 まず、参加してくれたみんな、誘ってくれたみんなに心からお礼を言いたい。本当にありがとう。社交辞令ではなく、ホントにうれしかった。以下、頭の中に「?」が渦巻く人、「そうか」と納得する人、いろいろだと思う。

 僕の中では、小学生時代と中学生時代が真っ二つに分かれている。呼び名、つまり、あだ名もまったく違う。僕の中では無邪気に楽しかった小学生時代に対して、中学生時代は暗い時代であった。出来ることであれば記憶から消し去ってしまいたいような。そしてそれは、その後、大きな影となって僕の心の奥底に巣くっていたと言える。

 参加の誘いのメールがあった時、中学時代のあだ名が書いてあれば、僕は参加することが出来なかったろう。そこに記されていたのは、僕がみんなと過ごして楽しかったころのあだ名だった。僕はそこにすがって参加を決めたのだった。

 話題にも上がったが、22歳のころ、暗い中学生時代から数年経ち、自分に自信を取り戻し、もう過去のことも自分の中で薄れて大丈夫だと思っていた矢先の、学年挙げての同窓会。ここに白状しておくと、会場で、僕は自分の心と体が自ずと硬直していくのを感じた。緊張の度合いは時間とともに増していった。自分の中にそれほどまでに、当時の記憶が刻み込まれていることに僕は驚き、少し怖くなった。情けなかった。悲しかった。

 僕の中の影。30年経った今でも、その影は実は消えていなかった。僕のたかだか40数年の人生で積み残してきた物の中でも、最大限に大きなヤツがこれだった。だから、ある意味では、今回の参加はちょっと挑戦みたいなところもあった。賭けでもあった。

 中学時代は消えはしないが、少なくとも、友達としての関係はあの無垢に遊んだころに戻りたかった。それは僕の心の中だけの問題かも知れぬが、抜け落ちたジグソーパズルのチップの一枚のようなものだった。

 冬山装備を担いで京都駅のロータリーに向かった僕は、オッサンの群れを見つけた。無論、白髪のオッサンである僕もその中に加わった。ゴルフ場に向かい、ひとしきりオッサンの遊びに興じ、京都七条にある旅館へ。そこに東京からやってきたGが加わる。

 シワがより、頭も白くなり、薄くなったいっぱしのオッサンたちが、話をしているうちに、気がつけば、みんな子供の顔になっていた。比喩ではない、ホントにそうだった。笑い続けるみんなの顔と言ったら、もう。

 みんなは、僕が自分で捉えていた以上に、僕のことを知っていて、憶えてくれていた。もちろん僕だけではない、みんなそれぞれ、そうなのだった。僕の知らなかったことも多くあった。あのころもそうだし、当たり前の話だが、その後の30数年間の中でそれぞれが歴史を刻んでいた。

 今朝、7時45分の出町柳駅のバスの乗りコマなけらばならない僕は、みんなより一足先に起きて宿を出なければならないため、みんなを起こすまいと思っていたのだったが、みんな起き出して見送ってくれた。

 パチリ、と音を立ててジグソーパズルのチップが嵌った。半ばあきらめていた心残りがひとつ消え去ったのだった。

 だから多分、みんなが思う以上に、今回の集まりは僕にとって意味があったのです。

 あの時代は事実としては消えないけれども、30年を経て、ようやく「思い出」となって昇華した。

 Yっちゃん、T、M、R、G、H、そしてKっちゃん。ありがとう。また、会える日まで。

 

 

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2010年11月28日 (日)

全国トレイルフォーラムin高島

 朝から一路、湖西線でマキノ駅へ向かった。マキノ高原で行われる全国トレイルフォーラムin高島に参加するためだ。といっても、僕がパネリストとかそういうわけではなく、観光協会の吉田さんに声をかけてもらったのと、日ごろ世話になっている元ヤマケイの節田重節さんが基調講演を行うためだ。久しぶりにアウトドア・プロデューサーの中村達さんの顔も見たかったと言うのもある。

 フォーラムと夜の懇親会に顔をImg_0022s 出して、今、帰阪したところだ。

 マキノ高原はこの春にも訪れている。昔からこのあたりにはよく足を運んでいる。いつしか既知も多くなった。まったく、その顔ぶれはほんわりとして、手作り感たっぷりなのだが、高島トレイルもそれなりの体制が整い、かなりメジャーな存在になった。

 僕が最初に声をかけられて、その開設にむけての会合に顔を出したのは、まだ高島市が誕生する前のことであった。そのころの仮称は高島トレイルではなく「湖西トレイル」と呼んでいた。朽木村、今津町、マキノ町が、いずれ高島市としてひとつになるのだから、力を合わせてトレイルをつなげようというような趣旨であったと思う。

Img_0009s  僕が具体的に何をしたということはないが、設立から見守り、数多くの記事にしてきただけに、なんとはなしに思い入れがある。

 今日もまた、新しい顔見知りができた。こんな風に、また、関係が深まっていくのが面白い。

 八ヶ岳スーパートレイルや信越トレイルの取り組みもなかなか興味を持って聞くことができた。高島トレイルは、今年、山ガールのみの参加するイベントをやって盛況だったようだ。

 今日も山ガールの話が出たが、そろそろ控えめに、小出しにしたいところだ。山に入る人が増えるのは喜ばしいことだが、あまりに「ブーム」になるのも困る。ブームはいつしか飽きられる。テレビも注目しだしたことだし、そろそろやばい。山ガールたちも、いい加減山ガール呼ばわりされるのに嫌気がさすに違いない。

「あたしと『山ガール』と一緒にせんといて!」。そんな声が聞こえてきそうな予感がする。人の心理とはそういうものだ。

 新規参入の窓口は広げておくにこしたことはないが、流行っていることを話題にするよりも、入ってきた人たちにいかに山の魅力を伝え、持続的に山を好きになってもらえる環境づくりを大切にしたいと思う今日この頃なのである。

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2010年11月23日 (火)

苦難の愛知川行

 土・日曜と、Sとともに愛知川に向かった。

 愛知川は昔、釣りによく行った。といっても、まあ、魚がスレまくっているので釣ったためしはない。今度は幕営して、歩くために行くのだ。

 知った川ではあるが、今回はセト峠を越えて川に入るというベーシックなルートを選んだので、いつもの少し上流域になる。

Img_4382s  と言うわけで、Sの車で向かったが、まず、登山口を見つけるのに苦労し、ようやく見つけた登山口近くに車を置いて登山道に分け入ったものの、歩く人も稀なのか、道は荒れ放題、適所に積まれたケルンがなければ、かなり苦労するところだった。

 セト峠を越えて、林道を横切り、川へと降りていく。

 早速、何回か渡渉を繰り返す。登山地図では川沿いに登山道があるはずなのだが、どうも見つからない。いくつかゴルジュが現れ、高巻き用のテープが斜面の木に巻きつけられていたので登り始めたが、あまりに急斜面で、こちとら二人とも幕営用の大荷物だから、大事をとって、なんとなく必要になるかもと思ってザックに忍ばせてきた補助ロープでフィックスを張りながら進んでいった。

 しかし、進めば進むほど道は悪くなる。踏み跡もあるにはあるが、あまりに不安定。ここで滑落してはしゃれにならないと慎重にロープを張りながら進んでいったが、下方のゴルジュを越えたとこらあたりで、進退窮まった。ごそごそしている間に、カラーン、カラカラカラとザックのポケットに入れておいたテルモスが谷間に消えていく。

 ロープを張りながら行きつ戻りつ進んでいたので、気がつけば時刻は午後4時近くになっていた。一度、川原に下りるべしと、クライムダウンを始める。Sも一時クライミングにはまっていたが、ゲレンデでは登り一辺倒でクライムダウンの経験が浅いらしく、なかなかに手間取る。

 補助ロープをダブルで使用して、3ピッチほどでようやく下りつき、その場にSを残して、幕営地を探しに川をさかのぼる。

Img_4443s  日暮れと競争しながらテントを張り、夕食にした。枯れ枝を集め、焚き火を始める。なにするともない時間が過ぎていく。いい感じだ。

 左手から支流が流れ込んでいるが、現在地がわからないので、とにかく寝て、明るくなってから確かめることにして、寝る。

Img_4481s  コースで言うと、林道から下ると白滝谷に下りつくはずで、少しは先に進んだから幕営地はヒロ沢あたりかと考えていたが、さにあらず、翌朝、渡渉を繰り返しながら進み左手に登山道の入り口を見つけたので入っていくと、天狗滝が現れた。Img_4512s

 まいったぜ。てことは、さっき左に見たのが白滝谷ということになるから、昨日、谷におりついた地点はもっと下流だということになる。ま、これで現在地がわかったので、ここからは迷うこともなく、ヒロ沢を登り、ハト峰を経て白滝谷を下った。で、ようやく本来のコースを見つけ出し、林道へ登ったのだった。

 さて、われわれはどこで間違えたのか。林道から谷への下り始めは階段になっていて、われわれはそのまま階段に誘われてまっすぐ下ったのだが、実は階段の途中に手すりの切れ目があって、そこで右に階段を外れて進まなければならなかったのだ。で、そこに「山火事注意」の赤い看板があって、その両端に白マジックで「↑川添(ママ)道悪い×」、「→白滝谷、天狗滝方面」と言うようなことが小さく消えかかった文字で書いてあるではないか。

 なにせしょっぱなから間違っていたのだ。

 ま、それはそれでいい。われながら、ここで反省するに……。

 どこかで道を間違えた恐れがあることは、考えていた。登山地図には実線で書かれた一般ルートだから、あんな苦難の道が正規のルートであるはずはない。にもかかわらず、あっていると思いたかった自分がいて、少しでも先に進んでいると思いたい自分がいたこと。つまり、間違っているとうっすらとはわかっていても、希望的観測に、心理をゆだねかけていたこと。このあたり、遭難者の心理に近いものがあるのではないかと思われる。

 ただし、今回の場合は大事をとって補助ロープを持参し、最初から幕営ありきであったから、適当なところでテントを張って、翌日時間をかけて確認行動がとれるという、精神的な余裕があったこと、本流に沿っていけば必ず、現在地が認識できる場所に出合うという好条件もあり、結果的には普通の山行に冒険的要素が多少加わった程度ですんだ。また、それなりの対処方法を引き出しに持っていたこともまあ、よかった。

 いい山行ではあったのだが、ストレスが常時かかりっぱなしの山行でもあった。

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2010年11月16日 (火)

虚空蔵山にて

 丹波の名峰・虚空蔵山へ。

Img_4194s  久しぶりに一人での山行きだった。快晴ではなかったが、天気はおおむねよかった。

 下りついた立杭の里に、太鼓と笛の音が響いていた。吸い寄せられるようにして、斜面を登って大アベマキの前までくると、獅子が舞っている。

 「お祭りですか?」と問うと、「伊勢の大神楽」だという。「荒神払い」と言うのだそうだ。近くで見守っていた今70歳だと言うおばあさんに詳しく聞いてみると、この辺の秋の行事だそうで「私らが生まれる前からずっとこうしてた」のだそうだ。

「子供のときは嬉しくてついて回りよったんです」と、懐かしそうに眼を細めながら話してくれた。神楽は篠山城下からやってきて、篠山中をめぐるのだそうだ。定宿も決まっているのだという。立杭は丹波焼と呼ばれる焼き物の里で、70戸ほどあるらしいが、一軒一軒たずねては、「はらえたまえ、きよめたまえ」とやってくれるのだという。

Img_4268s  どうも有名な伝統行事のようだが、僕は例によって例のごとく、知らなかった。しかし、今日のあの時、あの時間に山を降りてきたことで、こうした山村に伝わる古くからの行事に出会うことができたと言うのは、まさに一期一会と呼ぶしかない。

 おばあさんと一緒にいたオッチャンが「城下町でやってるときはホンマ、カッコええで」というが、なかなかどうして、こういったのどかな里に響き渡る笛や太鼓の音は、郷愁を誘う。なんともいえぬ味がある。

 時代が進みすぎた感のある昨今の日本だが、その片隅で、当たり前にこのような慣わしが生きていることが嬉しい。

 最近、車で旅するのはいかがか、と言う気になっている。歩いているからこそ、出会うものがある。チョイくさい言い方ではあるが、そういうものだ、という確信めいたものがある。

 今週は、もう無理だが、来週にはまた、新たな出会いに期待を膨らませながら山に登ることだろう。 

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2010年11月12日 (金)

明日の六甲

 明日の六甲山。「山の声」。

 それに備え、静かな夜を迎えようと思っていたのであるが。まだ若干やらねばならないことが残っている。

 山忠さん、奥さんの菊チャン、角谷さん、西村さん、山納さん。。。。故・大竹野さん。

 長い人生の中でのたった一日であるが、僕にとっては特別な一日にしたい。ロートルな役者2人の心意気と、それに呼応してくださった皆々様に感謝。

 まだ、若干数、席が空いているようです。当日、ふらっとお越しになっても大丈夫です。

 山の好きな方、加藤文太郎が好きな方、関西小劇場のオールドファン、ご来場いただいた一人ひとりのために演ります。

 六甲山上の夜は冷えると思います。防寒着をお忘れなく。涙もろいひとはハンカチをお持ちください。

 では、明日。六甲の山上で出会いましょう。

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2010年8月29日 (日)

ごめんなさい2 とりあえず

ごめんなさい。みなさんに忘れられんうちに一回書いときます。

Img_1844s  先週(先々週?)は、中央アルプスと、富士山に行った。中央アルプスの件では、宝剣岳山頂でであったQさんにコメントをいただいているので、取り急ぎ、写真をば。岡山から9時間かけてやってきたという、山ガールと山ボーイ(?)である。

Img_2547s  富士山。まあ、富士山である。しかしいろんな人が寄ってくるところで、お鉢めぐりでは、三浦豪太さんに、下山してきた6合目近くでは、カメラマンの加戸君に出会った。まあ、しょっちゅう行く場所ではないので、こういう偶然はうれしくてしょうがない。

 ところで。。。

 富士山からの帰り、携帯を見ると着信があったので、Yさんに電話を入れた。聞くと、この1週間ほどで3人知り合いが山で亡くなったそうである。いずれもベテランである。「ちょっと今年は自粛しといたほうがええんとちゃいますか? なんかいやな感じですよ」と忠告を入れた。

 そして今日、北穂高で、写真家の磯貝さんが亡くなった。直接お会いしたことはなかったが、何度かアルプスの写真を昔に借りたことがある人だ。

 どうも、山というのは初心者、ベテラン問わず、犠牲者を要求する。山とはそういう場所だ。

 この11月、六甲山上で、朗読劇をやることが決定した。詳しいことはまた報告するが、単独行者、加藤文太郎の最後を題材にした『山の声』である。作者の大竹野さんは、すでに亡くなっている。

 死という物と隣り合わせにわれわれは生きている。そして、あまりに身近であることを、今、特に感じている。山の場合、死はあまりに突然やってくる。突然、訃報が飛び込んでくる。突然なんだけれども、なんだか、いつ、誰の名前が飛び込んできても、もう、驚くことさえなくなってきた。誰にでも可能性があるのだ。山に入っている限り。

 できるだけ、多くの人に山を楽しんでもらおう、そのすばらしさを知ってもらおうと、日々、暮らしているが、山とはそういう世界であることも、同時に伝えなければならない。

 さびしく、悲しいことだが、それが命というものだ。

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