カテゴリー「エッセイ」の記事

2013年3月16日 (土)

GOD

 神様なんてものは概念なのさ。

 このところ、ジョン・レノンのこの曲を聞くことが多い。

 この正月、ネパールに行き、エベレストをはじめとするヒマラヤのビッグ・マウンテンに囲まれた風景の中をカラパタールまで行った。10日以上に及ぶ長い歩き旅だったが、その終焉、ルクラの町が行く手の丘の上に見えてきたとき、ふとこの曲が頭の中に思い浮かんだのだった。

 ジョンは、自分が信奉してきたすべてのものを、”I don't beleve"と叫び、最後に”I beleve in me"とポツリと言う。”Yoko and me"と歌う。それだけを僕は信じるのだと。

 

 なぜこの歌が浮かんだのだろうか。ヒマラヤの大自然に圧倒されたからか?

 そうではないだろう。ヒマラヤは神に満ちていた。そこかしこに。ヒマラヤでは山は神であり、それは日本人の心に違和感なく染み込んでくる。山だけではない、木や鳥や、石ころでさえも。そして人も。

 しかし、そのような神々しさの真っただ中で、胸の中にふわりとした温かみを覚えながらも、何かを僕は考えていたのかもしれない。

 そして、旅の終焉で、夢は終わったのだった。”The dream is over"

  さわやかに。清々しく。

 幾ばくかの時間が経った今から思えば、象徴的な啓示だった。

 僕の思想。正しいと思うこと。大切なこと。人生の真実。

 純化していけばいくほどに、それは透きとおり、濃縮されていく。

 全ては、「虚」だったのだ。日々の営みも、存在そのものも。

 最後には感情だけが残るのだろう。気持ちと言ってもいい。愛と言ってもいい。

 ”That's reality" それだけが、現実味を持って僕の胸に迫ってくる。

 ジョン・レノンの思想はよくは知らない。会ったことも話したこともないからね。でも、「GOD」というこの曲が僕の心に響いて、リフレインされている。

 ”What can I say?" どう言えばいいのか?

  Say it again.

   The dream is over.

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2012年8月19日 (日)

オリンピックと戦争

 オリンピックが終わった。いつにもまして面白かったのは、やはり日本勢の躍進があったからか。多くのメダル獲得のシーンに立ち会え、月並みだが大いに感動した。

 その反面、終戦の日を迎えても、平年に比べて戦争に関する報道が眼に止まらなかったような気がする。例によって芥川賞作品全文の掲載された『文藝春秋』を手に取ったので、それなりに興味深く読んだが、そろそろ戦争(戦場)体験者が減りつつあり、また、戦艦大和や特攻機桜花、硫黄島、インパール作戦などに関しても、新証言はあっても、とくに新事実と言うようなこともなく、全体に閉塞感が否めない。

 そんななかで、イマジカBSで放映されている『ザ・パシフィック』というドラマが興味をひく。スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスが、製作総指揮に名を連ねる連続ドラマだが、ドラマとは思えないスケールで描かれる。

 太平洋戦争に従軍した3人の兵士を参戦から追っているが、ガダルカナル島やペリリュー島ほか、南方での悲惨な戦闘を、当然だかアメリカ側から、一兵士の立場から見つめる。戦闘がすさまじいのはもちろんだが、アメリカ軍が日本軍をどう感じて闘っていたのかがよくわかる。

「1200人の俺たちに100人で挑んでくる。やつらはとてつもなくおろかなのか?」「俺たちが憎いのかも」と言うような台詞がある。どう解釈したらいいのか。マリアナの航空戦で有名な「七面鳥狩り」という言葉もここで使われていた。イラク戦争でも使われたようなので、どうやらこれは米軍のスラングらしい。

 戦場で戦うことに対する前提が違うと言えばいいのか。負けるとわかっていても最後の一兵まで闘うという心理は、アメリカ兵には理解できないようなのだが、日本人としては、「負ける=死ぬ」、負けた後には死しか待っていない、という感覚がある。どうやらアメリカ兵はそうではない(結果的には白兵戦になったときに負けるということもほとんどないのだが)。

 字幕では「バンザイ突撃」となっている言葉があって、よく聴いてみると「Banzai suicide」と言っていた。suicide、つまり自殺だ。玉砕も同じような表現になるのだろうが、英語でそういう表現になることは知らなかった。日本兵にしてみれば「自殺」という意識を持っていたのかどうか。「死ぬしかない」と自殺とは違う。

 目に付くのは、最前線での「死に直面する」悲惨さは、日本兵でもアメリカ兵でも同じだが、アメリカ兵は、後方キャンプではかなり自由にふるまい、タバコをパコパコ吸いまくり(前線でも)、負傷兵が送られる病院にいたっては平時の病院のように屋外のテーブルでコーラを飲みながら会話する。ガダルカナルで戦った後、いったんメルボルンに引き上げて人間らしさを取り戻す休息期間も与えられている。

 ベトナム戦争を扱う映画でそういうシーンは見慣れているが、太平洋戦争に関しても同じだった。あらためて考えてみると、こういうリラックスした感じは、日本側にはない(実際はどうか知らない)。銃器・弾薬・食料など圧倒的な物量が保証されているので、前線でも「死」に対する精神的・肉体的な苦痛・恐怖はあるが、物質的な追い詰められ方がない。「戦争に行く=死」という悲壮感が日本側に比べて少ない。確かに太平洋戦争に関しては、すでに結果が出ているから、描かれ方として日本側から太平洋戦争を見るとその悲壮感が前面に出ているのかもしれないが。

 くどいようだが「戦場で死ぬ」という悲惨は日本兵でもアメリカ兵でも同じだ。しかし、その環境における悲惨には相当な差がある。

 戦争は戦争に違いないが、闘う意味が違うのかも知れない。どういうのか、うまく整理できないし、頭のなかでもやもやしたままだが、軍隊の意味も違うし、戦争の意味も違う気がする。戦争をしている主体が国家であることは同じはずなのだが、多分「国家」そのものの主体が民主主義国家であるアメリカは「国民」つまり「自分たち」であるのに対し、日本は「天皇」であったという違いもあるかもしれない。

 アメリカは常に戦争を継続している国家だが、その意味の違いが国の性格というものなのだろう。

 歴史的に見れば、日本は、今は江戸時代に続いて長く戦争をしていない時期で、いずれ、僕が生きている間かどうかはわからないが、どういう形かはわからないが、戦争はするだろうと思っている。有史以来、戦争の悲惨は語られ続けているが、地球で戦争の起こらなかった時期はないからだ。人間は変わらないとあきらめている。

 それが証拠に、近未来を描く日本のアニメは、ロボットアニメであれなんであれ、常に戦争している。そうなるのを避けるためという方便もあろうが、大衆や子どもたちに受け入れられる、もっと言えば「ウケル」材料として、戦争という舞台を作り出しているのは否めない。作る側に問題があるのか、受け取る側に問題があるのかは知らんが。

 僕も「宇宙戦艦ヤマト」や「ガンダム」に夢中になった口だ。

 主要人物は、生き残るか、あるいは死を迎えるとしても、とてもドラマチックに劇的に迎えることになっている。しかし、本当はあっけない。『西部戦線異状なし』のラストシーンのように。

 そういう意味ではオリンピックは健全だ。肉体的に相手より勝ったから勝つのだし、劣ったから負ける。運もある。裏ではどうかは知らんが、表向きは勝者と敗者の間に憎しみもない。

 と、ひとりごちてみる。

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2011年5月11日 (水)

原発のことなど

 えー、地震については当事者になってから意見を述べるつもりでしたので書いていません。で、他の話題も、どうも書きにくい。

 山で言えば、その後もいくつか登った。

 原発についての書き込みがあった。それについては僕も思うところがあったのでまあ、書いてみようかと。でも書くとなると過激にならざるを得ないので、書かぬつもりだったが、書き込みがあったので、書いてみようかと。

 今回の事故について。

 驚いたのは、事故があったことではなかった。と、のっけから不穏な空気で書き始めたい。

 驚いたのは、人々の反応だ。周りの人間も含めて。事故はあってはならぬことだし、現在、強制的に我が家から追い出され、避難所で暮らしている方たちは本当にお気の毒だし、早急な解決を祈っている。

 「反応」といったのは、「原発は安全」だと、多くの人が思っていたことである。周囲の人間と話していても、そんな反応を示す。「安全だと思っていたのに、こんなことになるのなら原発は反対だ」と。耳を疑った。問い直すと、どうやら本気でそう思っていたようだ。そして、僕の頭のなかはクエスチョンマークでいっぱいになる。

 原子力は、いったん暴走すれば、人間の力では対処できない強力なエネルギーだ。それを知らぬとは言わせない。だからこそ何重にもセキュリティをかけ、安全性を確保しようとする。当然だ。しかし、スリーマイルしかり、チェルノブイリしかり、事故は現実に起こっている。国内では1999年の東海村の原発臨界事故も記憶に新しい。これらを最初から予期しているようであれば、事故ではない。それは事件だ。

 たとえ何重に防御策をとっていても100%安全にはなりえない。というよりなるわけがない。東電がいくら安全だといおうが、100%安全にならないのは、ある意味では常識であり、「真理」だ。そんなことは当の設計者だってわかっているだろう。100%安全にすることは、「真理」としてできない。不可能なのだ。とすれば、原子力というエネルギーを採択した時点で、いったん事故が起こればこうなることは予想できるし、しなければならない。そして実際に予想していた人々も多い。今回の直接の原因は津波だが、その他、人為的なミスで事故が起こることも当然あると考えていないといけない。

 法律にしても、現に「原子力損害賠償法」という法律があるではないか。事故が起こりえないなら、100%安全なら、こんな法律を定める必要がない。起こる可能性があるから、定められているのではなかったか。

 つまり、原子力を身近に置いた時点で、僕たちは覚悟しなければならないのだ。そして受け入れている以上、誰もが覚悟していると、僕は思っていた。

 それは核爆弾にしても同じだ。戦略兵器として存在している限り、「あるだけで使われることはない」などというのは絵空事でしかない。いつ、どこで、故意にせよ、事故にせよ、発射されるかわからない。確率は低くても、廃絶できない限りは、可能性としては残る。

 「どんなに右傾化しても、日本が戦争をすることがない」などと嘯く人がいるが、冗談じゃない。いつだってありうる。左傾化してもありうる。だから僕らは戦争を憎悪するのであれば(しない人もいる。必要と考える人もいる)、そうならないように常に意識し、努力しなければならないのだ。

 地震については、今後30年の間に東南海地震が起こる可能性が高いと言われている。僕の住む大阪も相当な被害を受けるに違いない。数年前、子供を幼稚園に連れて行く際、僕は地下鉄のホームで、今、地震が起きたらどうするか、天井が落ちて来そうなのはどこか、子供の手を引きあの柱に寄り添うのが安全か、というシュミレーションを頭の中で繰り返していた。また、数ヶ月前に引越しをしたが、前の事務所は戦火を逃れた昭和ひと桁の建物であったから、地震が起きたら下敷きになるしかないな、と考えながら過ごしていた。地震が来ると予告までされている場所に住んでいるのだから、その覚悟はしている。今、地震が来れば、うずたかく積まれた本のなかに埋れるしかない。

 原発の是非は僕に言うことはできない。前からこの場に書いているように、エネルギー問題は深刻だ。化石燃料が有限であることを考えるとなおさらだ。風力発電などと簡単に言うが、日本ではその地理上の理由から、尾根上に風が得られることが多く、その設置には大規模な森林伐採が伴う。その弊害を覚悟で設置するのかと言う問題が大きく立ちはだかる。

 いまさらながら節電などというのもナンセンスだ。地震以前の問題だ。無駄なものは使わない。それが当たり前でなくなったのはいつからか。要らぬものは要らぬとくどいほど書いてきているが、なぜそれが有事でなければ意識できないのか。不思議でならない。

 常に考えていること。これが大切だ。正月に髑髏を片手に巷を歩き回った一休さんではないが、「御用心、御用心」なのである。

 書きたくなかったが、書いてしまった。一言で言えば、絶望です。

 

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2011年1月15日 (土)

思い出

 どうも調子がいまひとつ。やらなければならない仕事は山ほどあれど、思うほどはかどらず、乗り切らない。机に向かえど頭のなかには霧がかかっていて、ようやく影のようなものがひとつの形としておぼろげにまとまってきたなと思えば、ふわっとかき消えていく。

 なんとなく、頭が痛いような気もするし、鼻水が出ているような気もするし、随時眠たいような気もするし。といっても風邪を引いているような風でもない。やばいなあ。

 今日は元上司の事務所が移転するので手伝ってきた。といっても同じビルの3階から4階に移っただけ。

 山ほどあるポジのスリーブを眺め、懐かしき雑誌を眺めた。

 10年一昔といえど、記憶のなかではついこの間のことである。しかし、10年以上前の写真を眺めていると、確かに10年という歳月は流れていた。

 写真のなかでは、今は立派な青年である大学生の彼が紅顔の小学生であり、すっかり大人の女になったあの娘は、まだ少女の面影を残していた。白髪頭の僕は、その傾向はあるとはいえまだまだ黒々とした髪をしている。

 変わっていないようで、みんな変わったのだろう。たかが10年、されど10年。

 帰るとポストに『山と渓谷』と『PEAKS』。パソコンを立ち上げると、沖縄にいるNしゃんからメール。この正月、仲間内でマキノで年越しをしたのだが、その写真を送ってきたのだ。みんな楽しそうにしているところに白髪頭の僕だけがむっつりしている。

 こんな調子じゃ僕が存在しているのかどうか心もとないが、10年後、これらの写真を僕はどんな気持ちで眺めているのだろう。

 ノスタルじじいの夜は更けていく。

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2011年1月13日 (木)

仮面の告白

 普段、いろいろなところで仕事をしていると、どうにも損をしているなあ、という人がいる。

 何なのだろうと考えてみる。

 やっていることは同じか、もしくはそれ以上であっても、一方の人は重用され、一方の人は評価されないということが結構あるのだ。

 その原因は何か、と考えると、実はわかっていて、はっきり言ってまず見た目であることが多い。その人の自己表現力、愛嬌というものも含まれる。

 男性の場合は、そんなに差は現れないように思う。なぜかといえば、評価する側が男性である場合が大半なので、率直に仕事内容だけで評価できる。男性が、女性を評価する場合に起こるケースが多いと感じる。

 なんと不公平な、と憤ってみてもしょうがない。残念ながら、意外とそういうモンなのである。

 だから、手前味噌な話になるが、地味で目立たない人に対しての評価を怠らないように心がけている。心がけている、という言い方は変かも知れぬが、やはり、見た目や愛嬌で人を見てしまう傾向が僕にもあるからで、あえて意識しないとそちらに目が向かないからなのだ。

 悲しい話だが、結局はその人の容姿や性質が大きくその人の人生を左右する。不幸なことに、容姿、性質、加えて、能力においてもどうにもならない人もいる。能力というものは、努力でなんとかなるものと、努力だけではどうにもならないものもある。自分の性質をおいそれと簡単に変えることができるのであれば、そんな便利なことはない。

 100mを努力で10秒で走れるようになるか、といわれると、まず99パーセントの人には無理であるのと同じことだ。努力すればイチローになれるかといえば、なれない。

 しかし、人生という意味では、誰にとっても一度きりの人生、起用か不器用かにかかわらず、幸せに生きる権利があるのだ。ひと言、評価してあげるだけでその人の心のうちが大きく変わることがある、ということに常々気を配っている。つもり。

 僕といえば(男ではあるが)、いつのころからか、得ばかりしてきたように思う。仕事にしても、その他のことにしても、自分の能力以上に重用されてきた。その都度、その期待されるところまで自分を引き上げるプレッシャーと常に闘ってきた。

 ホントにありがたい話であるが、そんな苦しみもあった。相手が過大評価しているのか、自分が過小評価しているのかは知らぬが、そんな人生を歩んできたように思う。

 そういう意味では幸福な人生を歩んで来たに違いない。そんなに不幸を感じることなく生きてきた。もっと言えば、なぜ俺はこんなに平々凡々な幸福な星の下に生まれてきてしまったのだろうか、と口惜しい思いをしたこともある。

 人から見れば、僕の人生がどんなものに映るかは知らない。ただ、僕はずいぶんと、分不相応に得な人生を送ってきたように思う。

 もし僕が不幸であるとすれば、不幸でなかったことが不幸だったといえるかもしれないなあ。

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2011年1月12日 (水)

リピート山中さんと出会う。ついでに坂口安吾

 今日はモンベルの来年の秋冬の展示会であった。見るべきものはいくつかあったが、それはらい秋のお楽しみということで。

 で、珍しい人にあった。リピート山中さんである。昨年11月「山の声」朗読公演で前説をやっていただいた。そして今度のラジオでもまた、MCをやっていただく。縁であるなあ、と思ったことよ。

 こないだは日活JOEとして、今日は加藤としてあらためてご挨拶をした。

 せっかくなのでリピート山中さんを紹介しておくと、シンガーソングライターである。フツーに街でもライブをするが、山に行って山小屋なんかでライブをすることもある。「加藤文太郎の歌」なども作っていて、収録されているアルバム「山歌集 加藤文太郎の歌」は山好きなら聴いておいて損はない歌ばかりが収録されている。

 まあ、そんなこともあって。

 何を買うともなく本屋に行って、ふとめにとまった坂口安吾のエッセイ集を買った。堕落論などは何十年と前に読んだのだがすっかり忘れてしまっているので、再読もかねて。

 エッセイ集だから、どこから読んでもかまわないというのがいい。

 太宰の情死に関しての長いエッセイがあったので、そこから読んだ。太宰は、文庫本になったものはすべて読んだが、ほとんど忘れてしまった。若いころだから、当時の周りは暗いだのなんだのという評価をしていた気もするが、読んだときは、「なんや、別に普通のことやん」と思った記憶がある。誰もが感じていることを「正直に」文章にしただけ、と。

 坂口安吾は、自死を選んだ太宰に対し、愛情と怒りを込めて書きなぐっていた。面白いといっちゃあ不謹慎なんだろうが、面白かった。

 安吾の語り口調、切り口は独特のものがあるが、共感するものがあった。

 いったいに人は自分を省みるときにどうするのだろう。僕はたぶん思考的には太宰に似ている。まあ、安吾にも似ている。決定的に違うのは才能がないことであろう。また、ここにこういうことを書くと心配する人がいるのであえて書くが、僕は情死など絶対にしない。他人の命を巻き添えにするなど、たとえ相手が望んだとしても許されるべきことではない。

 さて、以前、ある人と話していて、自分のことを話したときに「それは自分に自信がないからそう思うんとちゃうか」と言われた。その時に僕は愕然とした。

 当たり前である。自信のある人間なぞ、この世にいるのか。そんな人を僕は人間として信用できない、とさえ思ったが、口に出すことはしなかった。素直に驚いた。

 仕事であれなんであれ、自信がなくてはできないことはある。しかし、人間としての自分に自信がある人間など、ありえない。完璧な人格者などいないように。それは強がりであるか、ただの思い込み、悪く言えば傲慢であるとさえ思える。

 僕などがたぶん自信たっぷりにモノを言っているときは、まあ、眉唾物である。ハッタリである。たぶん。

 「たぶん」としか言えないのはやはり自信がないからである。

 たとえば、何かを口にする。口にするのは相手がいるからで、言葉はコミュニケーションの手段である。意図がある。まあ、僕の片輪なところは、口にした自分の意図を考え込んでしまうところであろう。なぜ、あんな言い方をしたのか、なぜ言葉を発したのか。

 ある事実を伝達するだけではなく、相手に対してそのほかの意味を込めていたのではないか。駆け引きなどは言語道断、いい人に思われたいとか、自分をよく見せようとか、できる人間を装うとか、自分の身を守ろうとか、自己弁護とか、何かそこに計算のようなものはなかったか。

 そして、自信はドンドンなくなっていく。自分はいったい何を考えているのか。相手のことを本当に考えて言葉を発したのか。誠実に言葉を発したか。

 こうなると、安吾が太宰を評して言う「赤面逆上」である。厳密には少し意味は違うのだか。

 そこにどんな些細なことであっても自分の「欲」が見えたらもうだめだ。言葉を発しては赤面逆上し、重ねては赤面逆上する。人はそういうものだから、誰かの発した言葉に「欲」を感じたとしても、別にどうこういうことはないが、自分が感じてしまうともうだめだ。自分で自分の心をあら捜ししては、ほんの少し、大河の一滴程度の欲があれば、赤面逆上する。「俺は誠実ではない」と思う。

 果ては、街行く人々がいったい何を考えて生きているのだろうとさえ思うのだ。みんなそんなことまで考えないのだろうなと。しかし、そんな欲の中で生きている人間を愛しいとも思うのだ。

 自分にそんな気持ちがあったとわかっていたら、言葉など発しなかった。そう思うことが多すぎると、言葉など発せない。

 ここにこう書いていることさえ、なぜ俺はこんなことを書いているのかと、きっとあとからあら捜しするのだ。

 差別用語かも知れぬが、あえて片輪というほかはない。

 

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2010年11月20日 (土)

文藝春秋とS君

 こないだ、とある若者と話した。

 たあいもない話だったが、苛立ちを覚えた。

 別にどおってことはない話だ。つまり、会話ができなかった。仕事の話からそうなったのであるが、「命をかける」ということが理解できない。ありえない。

 その人にとって仕事とは何か、というのは人それぞれだ。職業に貴賎はない、と僕は思っているが、その姿勢、とでもいえばいいか。

 彼の言うことも理解できるが、そこに、思想的な基盤がない。ん、思想というと話がややこしくなるか。

 先のマスコミの話ともつながるが、マスメディアで働いているものには、少なくともそこで言葉を発している人間には、社会に対して責任がある。極端に言えば、その発言のために、闇夜に乗じて後ろから刺される事だってありうる。しかし、だからといって、発言しないのであれば、マスメディアに出る意味はない。

 以前に読んだ和辻哲郎の『古寺巡礼』のなかで、和辻が父によく「人の役に立つことをしているか」と問いかけられたという話を書いていた。和辻の父は医者だったが、貧乏人からは金を取らなかったから、家計的にはずいぶんと苦労をした、というようなことだ。

 僕にとって仕事とは、そんな使命のようなもので、やらなければならないものだ。山にこだわっているのも、それが人の幸せにつながると思っているからであり、また、安全に、悲しい思いをすることなく、楽しく登ってもらいたいと願っているからである。また、その土地、僕で言えば関西周辺をより理解し、愛してほしいという意味も含んでいる。

 なんだかそんな話から、話が広がってしまったのだが、どうも彼は国家とは何かとか、そういう基本的なことすら考えたことがない様子である。まあ、そういう人が多いのかもしれないが、民主主義国家で国民が国のことを考えないというのは、どうか。

 難しい話と敬遠していてはだめだ。国のことを考えるのは政治家の仕事ではない。民主主義国家で国民が国のことを考えないというのであれば、国に責任を持たないというのであれば、国などは成り立たない。専制国家か全体主義国家になるしかない。

 といっても、それも話ができない。そんな会話も成り立たない。

 こんな前振りがあって。。

 久しぶりに『文藝春秋』を買った。

 石原慎太郎東京都知事が論文を書いていた。

 一国の首都の知事の発言ということを念頭において。

 日本は核を持つべきであり、場合によっては徴兵制も必要だと述べていた。一国の首都の知事の発言である。日本人は、情緒的に戦争嫌いになっており、国際問題の解決の手法として戦争を肯定する意味のことを書いている。

 興味がないというレベルの話ではない。東京都民は、この知事の発言をどう受け止め、どこをどう支持するのか、興味が湧く。そしてそういうことはやはり知っておかなければならないのではないか、と思う。

 しかし、石原都知事の話の内容は、3分の2ほどは僕も納得がいく。だから、彼らのような人々に読んでもらいたいのだ(3分の1は真っ向から否定させてもらうが)。

 歯に衣着せぬ人であるし、たぶんに思想的に偏りがあると僕は感じるが、肩書きも何もなりふり構わずに、発言すべきはする、という姿勢はやはりすごいと思わざるを得ない。

 ほんで、今日、たまたまその文藝春秋を持っていたので、「うそでもええから、読んでみ、いっぺん」と言ったら、「うわ、字い多いですね。これは無理です」と言われちまったい。

 ついでながら、60年安保の話や、岸信介×清水幾多郎の対談などが載っているが、彼らと同年代、いや、もっと若い人たちが、どれだけのことを考えていたか、なども読めばわかると思ってすすめてみたのである。しかし。。。うーん。

 結局、知ってほしい人には、どうやっても届かない、という悪循環がここにもあるのだった。

 ああ、でも、考えている人は考えているのは知っているので、べつにいいと言えばいいのだが、そう言ってしまっては身も蓋もない。

 しかし、この石原都知事の論文が、たとえば熱狂的に支持され、そういう国家になっていったときに、彼らはどう言うのだろう。何を考えるのだろう。

 少なくとも、この都知事の考えに対し、「僕はこう思うのだ」と、意見を述べることのできるレベルにまで自己を高めておいてほしい。と思うのだよ、S君。50年前の若者であれば、その程度の思想は持っていたし、議論することができるレベルにあったのだから。

 君の事ではない。君の子供たちや孫に直接かかわってくる話なのだよ。

 しかし、あのころの学生は『資本論』を読んで、理解ができたと言うのだからビビル。

 

 

 

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2010年11月15日 (月)

みなさんありがとうございました

 夕べは遅くまで、というか、3時ごろまでみんなと飲んだ。と言っても僕は下戸であるので、食べたと言うのが正解である。

 で、山忠さんちにみんなで転がり込み、朝7時30分に、寝息が響く家を出て、事務所に帰り、ひと仕事して、別の仕事に出かけた。さっき帰ってきて、今夜もしなければならないのだが、さすがにひっくり返りそうなので、明日の朝にしよう。

 たくさんの人が来てくれた。思いがけないひともちらほら。山関係では山岳ガイドの梶浦万智子さん、舟橋健さんが駆けつけてくれた。予告もなく、来ていただけるとはまったく思っていなかった。本物のクライマーたちに、僕らの描いた山の情景はどう移ったのだろう。元YKの後輩たち。店での仕事仲間の面々。先日の朝日カルチャーの受講生の方の顔もあったし、デザイナーの曽我部さんも連絡なしに来てくれた。

 芝居関係で言えば、未来探偵社の隈本さん。ああ、なつかしや。脚本を提供していただいた故・大竹野さんのくじら企画の皆さん、角谷さんつながりで、かっぱのドリームブラザースのかっぱさん。もとランニングシアター・ダッシュ関係の人々。

 そのほか、単純に加藤文太郎に興味があったひともいただろう。

 お越しいただいたみなさん、ありがとうございました。この場をお借りして、もう一度お礼を言います。

Img_4050s  写真は、音合わせ中の山本忠と角谷芳徳と山忠嫁の菊ちゃん。かっちょいい男たちでげしょ。

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2010年11月14日 (日)

宴の終わり

「私は但馬の出身なんですけど、ほんと、夏の日本海はイカ釣り船の明かりが海一面に広がってきれいなんです。その情景が思い出されて、気持ちがこみ上げてきて……ありがとうございました」

 帰り際、年配のご婦人が、そういい残して帰っていかれた。

 素直に嬉しいのだ。たくさんの人が、夜の六甲山上に足を運んで下さった。一人ひとりがどう感じられたのかはわからないし、満足していただけたかどうかはわからないのだが、そして、このご婦人がどういういきさつでやってきてくださったのはわからないのだが、そういう方が一人でもいれば、僕はやってよかったと思う。

 偶然がいくつも重なり合って、今回の公演は実現した。演者、プロデューサー、台本、六甲ヒルトップギャラリー、そして観客。ひとつでも条件が欠けていたら、今回の芝居はなかった。

 ひとつの時代が、これで終焉を迎えた。1時間半の出会いと時間の共有。そして、またどれぞれが日常に戻ってゆく。

 六甲山上での、ほんの一瞬の出来事。

 感謝。

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2010年11月 5日 (金)

闘い

 孤高の登山家、加藤文太郎と向き合う日々が続く。

 あと10日を切った。

 本腰を入れなければならぬ。

 既成の台本だけに、稽古場の流れで作られた部分もあるだろうから、人物が揺らぐ。いかに筋を通していくかが勝負どころとなるだろう。

 負けてはならぬ。

 俺たちには俺たちの筋の通し方がある。

 なぜ、今、俺たちがこうやって芝居をしなければならなかったのか。

 なぜ、今、俺が加藤文太郎を演らなければならなかったのか。

 はじまりは降って湧いたような話だったけれども、まさに瓢箪からコマのような話だったけれども、きっとそこには理由があるのだ。

 その答えは、すべてが終わったときに見えてくるのだろう。

 それまでは負けてはならない。

 闘うのだ。二度と立ち上がれぬほどに全力を尽くして闘うのだ。

 すべてが終わったとき、二度と立ち上がれぬほどに。

 敗北でも、勝利でもいい。二度と立ち上がれぬほどに。

 その日、その場所に、確かに俺たちがいたという、証を創る為に。

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