カテゴリー「古寺巡礼」の記事

2010年7月16日 (金)

駆け足で高野山へ

Img_0077s  また高野山へ行くことになった。どうもこの山とは縁が深い。といっても、今日は昼から出かけたので、さくっと近畿三十六不動尊の明王院と、波切り不動こと南院に行って来たのみ。

 せっかくだから奥の院へ足を伸ばそうかとも思ったが、どうも面倒くさくてやめてしまった。日本三不動のひとつ、明王院の赤不動と波切り不動は秘仏なので、拝んできただけである。

Img_0109s  天気もあまりよくなかったせいか、人でもいつもと比べるとまばらだった。

 昨日は高槻市の安岡寺へ参った。小さな寺だが、ご住職が親切にしてくださり、観音堂を開けてくださって、重文の十一面千手観音像を拝ませていただいた。戦後のことだが、お堂の隅でほこりをかぶっていた観音様を手入れしようとしたところ、専門家の目にふれ「ちょっと待った」と、綺麗に掃除されてみると、貴重な仏像であることがわかったのだという。

 きめ細やかさはないが、素朴なつくりの観音坐像は大きな体躯をしており、顔のあたりは金箔がよく残っていた。

 意外なところで意外な仏像とめぐり合えたのは幸いだった。

 さて、高野山までの旅路は長い。なので、車中の友として、久しぶりに『文藝春秋』を買った。以前は年2回、芥川賞の発表に合わせて買っていたのだが、言っちゃ悪いが、賞をとった作品で面白いと思ったためしがないので、気がつけば買うのをやめていた。「的中した予言50」という特集を電車の吊り広告を見て、久しぶりに買ったのだった。

 的中してるかどうかは、まあそれぞれとして三島由紀夫などの作家から石原莞爾のような軍人、クリント・イーストウッドといった俳優、小泉純一郎をはじめとする政治家、西郷隆盛や坂本龍馬など歴史上の人物、本田宗一郎ら実業家、若くして命を絶った岡田有紀子に至るまでまあ、多彩な顔ぶれだった。

 『文藝春秋』は『文藝春秋』なりのカラーがあるが、いろんな専門家がいろんな意見を述べる。一歩ひいた距離感があるところがよいような気がしている。読み応えがあるので、一冊読み終えるのにかなりの時間を要するが、同じようでも『週刊文春』などを読むよりはよほど面白いし、現代が見えてくる。ただし。

 距離感はあってもやはり雑誌のカラーがあるのだから、それなりの主観がある。主観があるということを念頭において、さまざまな角度から読みこなし、自分の考えに結び付けなければならない。

 先の参院選にしても、ワールドカップにしても、マスコミの報道に右往左往しているわが日本国民に思うのだが、どうも、報道というものを頭ごなしに信用しすぎる。思考をとめているのではないかという気がする。

 それが現代日本の特徴だと言いたくなるが、戦時中の大本営発表を頭ごなしに信じ、戦勝に沸いていた日本を思うと、今も昔も変わらんなと思う。ただ、変わらんということは、同じことを繰り返す可能性が高いということだ。

 真実を見極めようとする意思を持たなければと思う。しかし、そのためには日々勉学に励まなければならないのである。

 誰が、どういう意図を持って発言しているのか。文脈を読みむ力を備えなければ。誰かの言葉は、その誰かの言葉でしかない。傾聴するのはいいが、それに対して自分なりの答えを導き出す力をつけなければならない。

 ええっと、何が言いたかったんだっけか?

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2010年7月12日 (月)

京都の夏2。庭園の技

 参院選であった。まあ、近年のなかでも突出してとらえどころのない選挙だったのではないか。まあ、今後数年は、今まで以上に政治は停滞し、混迷していくのだろう。

 話は変わって。土曜日、再び京都の寺めぐり。聖護院、曼殊院、仁和寺、蓮華寺、大覚寺とまわった。蓮華寺以外はすべて門跡寺院である。つまり、皇族が出家して門主となった寺院であり、また、その住まいでもあった。

Img_0029s  ので、前回の青蓮院も同様、いずれの寺院も庭園がすばらしい。何百年もの間、その庭園のすばらしさは受け継がれてきたのである。

 ところが、よく考えてみると、樹木の成長や寿命を考えると、庭園ができた当時のものが残っているわけはない。してみると、現在僕たちの目の前に、その美しさを見せてくれている庭園は、当然ながら、造園当時のものとは相当違っているに違いない。

 つまり、今日まで、この美しさを維持してきたのは、庭師の腕に違いない。百年、二百年のちの紅葉を思い浮かべ、一本のカエデの苗木を植え、白砂に映えるマツを想像して、苗木を植え、手入れし、育てて来たに違いないのだ。

 つまり、これらの日本庭園を扱う庭師たちは、決して「今」目の前に展開している庭の美しさを維持しているだけではないのである。未来を見据えて、今の名木を継ぐであろう樹木、言い換えれば庭を育てているのである。

 そんなことに思いを馳せてみると、目の前のことだけに捉われているわが政治家も国民も、どうも精神が貧困であるように思える。

 今回は取材であるが、またいずれ、名も知れない何代もの庭師たちの仕事に思いを馳せて、ゆっくりと庭を眺めてみたいものだ。

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2010年7月 5日 (月)

京都の夏

 山ではないんですが、京都です。

 京都のお不動さんめぐりを始めました。今回はその第1弾です。

Img_9514s  伏見の竹田にある北向山不動尊に参り、その足で近鉄で京都駅へ。で、七条通を東へ。いまだ拝観していなかった三十三間堂を拝観後、智積院の不動堂へ。ここには和歌山の根来寺から勧請したというお不動さんが祀られている。取材であるので、かねてから観たかった長谷川等伯の襖絵なども見せていただいたが、思ったより感動が少なく、我ながら、調子が上がっていないなということを漠然と感じた。

 もともと、なぜだか京都は苦手で、何度行っても地理が頭に入ってこない。最近ようやく東山近辺がわかるようになってきた程度だ。次に円山公園近くの青蓮院門跡に出向くことにして、電話を入れると、門主さん(門跡だから門主。つまりご住職。院の場合は院主さんとなる)が電話口に出てこられてお話くださった。門跡は、もともと宮様が門主になるのが慣わしだったらしく、現門主さんも親王家の血筋である。

 七条から青蓮院まで歩くことにしたが、今日は何の日か、やたらと人通りがにぎやかだった。外国人の姿も、いつもより多く見かけたように思う。円山公園を抜け、知恩院の前を通り、クスノキの古木が目をひく青蓮院へ。

 受付で声をかけると、訪問が門主さんから伝わっており、青蓮院門跡に関する書物などをいただいた。ささやかな心配り、いたみいった次第である。

Img_9552s  青蓮院は、庭園が有名だが、客殿の縁側に座り込んで、何するでもなくのんびりと庭を眺めている人を見ると、寺院の格式の高さに対して、意外なほど敷居の低さが感じられて、心地よかった。

 お目当てのお不動さんは、国宝・青不動であるが、本殿の裏側に祀られていた。ここでは精巧に作られた複製を開眼供養し、お祀りしてある。複製も本物もお不動さんであることには変わりない。この本殿が、本殿と呼ばれるにもかかわらず、他の建物と比べてこぢんまりとしており、この青蓮院の位置づけが他の寺院とは異なっていることがよくわかる。

 いただいた書物の中に、昨年の青不動御開帳記念に、東伏見門主が出版された『青不動のこころ』があった。法話といえば法話なのだが、とてもわかりやすく宗教のことを語ってくださっているので、とてもありがたい。さらっと見通しただけだが、じっくりと腰をすえて読んでみようと思う。

 内陣の奥深くに祀られたお不動さんから、手の届きそうなお不動さんまでさまざまだが、このさき、どんなお不動さんに出会えるのか、楽しみではある。

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2010年6月28日 (月)

お不動さんめぐりへ

 縁あって、「近畿三十六不動尊」をめぐることになった。

 巡礼と言うわけではない。出版物の取材である。

 不動尊は山の宗教、修験道とも深く関連があり、僕にとって不案内なジャンルではない。先般の土曜日のことである。

Img_9282s  まずは手始めに、ご近所の不動尊を参った。谷町九丁目の報恩院からめぐり始めた。ここは北向き不動さんということで知られ、北向きにお不動さんがある。しかし、枯れたクスノキのその裏にもうひとつお不動さんがいて、こちらはこのクスノキとともに戦中に大空襲で焼かれたもとの北向き不動さんだが、信者の意向により、今は南向きとなってたたずんでいる。

Img_9329s  次に、大阪市内で唯一滝があるという下寺町の清水寺に参り、続いて四天王寺の亀井不動、美章園の桑津不動、田辺の法楽寺と歩いた。

 街中のお不動さんたちであるが、5つめぐって思ったのは不動明王と言うのはいかめしい面構えとは裏腹に、なんとも身近な存在の仏であると言うことだ。もちろんご本尊の場合は内陣の中央に鎮座して、近寄りがたいこともあるが、手を触れるわけではないにしても、古来、何万もの大衆から水をかけられ、苔むしたお不動さんの慕われ方は、お地蔵さんに近いのかもしれない。

 僕が信心深いかどうかは別にして、いつもそばにいて、心の支えになってくれている、なんというのか、民衆の位置にまで下りてきて、難しいことはよくわからんけども、手を合わしておこう、というような仏であるような気がした。

 とりあえず、36のお不動さんを回ってみれば、まあ、なにか「宗教」というより、単なる「信仰」としか言いようのない大衆心みたいなものが見えてくるのではないだろうかという気がしている。

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